科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』
綺伝 いくさ世の徒花
改変 いくさ世の徒花の記憶
(脚本・演出:末満健一)【公式サイト】
感想です。
- [Stage] [773] 科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』(1)秘すれば花なり~七海ひろきの細川ガラシャ
- [Stage] [773] 科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』(2)放棄された世界の物語
- [Stage] [773] 科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』(3)神の国の盟主ガラシャ
まるちりか、戦死か、愛に殉じたのか
『刀剣乱舞/灯』の細川ガラシャ(七海ひろき)は、まるちり(martírio=殉教)なのか、戦死なのか、それとも愛に殉じたのか。と初見に考えた。
『SHIROH』(2004年,劇団☆新感線)のシロー(中川晃教)はまるちりで、『MESSIAH-異聞・天草四郎-』(2018年,花組)の天草四郎(明日海りお)は戦死だと、私には見えていた。
細川ガラシャは愛に殉じた。
彼女には忠興(早乙女じょうじ)が熊本まで追って来てくれたただけで救いになったのだ。
かつてガラシャを蛇と呼んだ忠興が。
ボロボロの憐れな姿になってまで。
あの方が。
忠興の姿が目に入った瞬間のガラシャの驚きと喜びが声の見守る私に伝わってきた。声がかすかに弾んでいる。神に尽くそうと決めた神の国の盟主・細川ガラシャから、忠興の妻である細川玉に戻っていた。
それなのに彼女は、忠興の手にかかって死ねなかった。
ガラシャは唯一自分を許せる存在であった忠興を高山右近(黒川恭佑)の手によって失う。その衝撃で彼女は変容し、全てを終わらせることを決めてしまう。
歌仙兼定の思い出
細川家伝来の刀である歌仙兼定(和田琢磨)は忠興と玉の思い出を語る。
同い年の細川忠興と明智玉は主君である織田信長の命により婚姻を結ぶ。戦国の世を生きる細川家の若き当主・忠興と武将の妻として家を守る玉。2人の間には、まもなく子が生まれ、夫婦は仲睦まじかった。
だが、その夫婦に玉の父・明智光秀が織田信長を弑逆した本能寺の変という楔が打ち込まれる。
明智光秀は主君の仇討ちを掲げる羽柴秀吉に討たれ、玉は「謀反人の娘」という立場に置かれた。忠興は玉を離縁して三戸野に幽閉し、2人の仲はひび割れていく。
忠興には短気で苛烈なところがあり、佩刀の名前・歌仙兼定は、忠興が36人の家臣を手討ちにしたことから、三十六歌仙に引き合いにして名付けられたという。
すごいね(・・;)
忠興は玉への愛着も激しく、嫉妬深かった。
忠興が玉を見ていた庭師に激怒して手討ちにし、妻の着物で刀についた血を拭ったことがあった。動揺を見せない玉に忠興は「お前は蛇のような女だ」と言い、玉は「鬼の妻には蛇のような女が似合いでしょう」と切り替えしたという。
鬼の妻には蛇のような女が似合いでしょう
子を抱いて幸せそうに微笑み、子守唄を歌う柔らかな物腰の玉から、きつい表情と低い声で夫を睨む玉への変貌が哀しかった。仏教の様々な宗派を学んでいたという玉は忠興の友人である高山右近からキリスト教の存在を知り、洗礼を受ける。洗礼名はガラシャ、神の恩恵という意である。
歌仙兼定は夫婦間に踏み込まないようにしながら懐かしげに思い出を語る。歌仙兼定だけが忠興を「三斎様」と呼ぶ。それは茶人としても名を馳せた忠興が隠居後に名乗った号である。歌仙兼定は、正史の1645年に没した忠興の長い物語で成り立っている。
その歌仙が、放棄された世界の熊本城下で忠興が高山右近に斬られて果てるのを見た。思い出を語り、血染めの着物など風流ではないねという声が震える。そんな歌仙を、にっかり青江(佐野真白)や篭手切江(大見拓土)が気を遣う。
千秋楽後に刀剣と歴史上の人物を調べて判明するあのシーンの意味深さ。刀剣男士の仲間意識の強さを感じる。
鬼と蛇、蛇と花
歌仙に、娶った妻が美しすぎて、忠興を狂わせたのかもと言わしめたガラシャは、夫に蛇と言われたことに苦しめられていた。
「蛇のような女でしょう」と気にするガラシャに対して、地蔵行平(星元裕月)は「そなたは花だ」と返す。
鬼と蛇というと、「鬼が出るか蛇が出るか」しか思いつかなかったが、その意味はというと。
前途にはどんな運命が待ち構えているのか予測できない。鬼が出るか仏 (ほとけ) が出るか。引用goo辞書
蛇は仏らしいです。
「鬼が出るか蛇が出るか」の由来はからくり人形を操る傀儡師が、箱から人形が飛び出す前に言った決まり文句のよう。ことわざとしての意味は「前途は予測しがたい」。つまり箱から出てくるのは鬼か蛇かわからない、という意味合い。
このことわざでは、「鬼=災い、良からぬこと」、「蛇=仏、良いこと」を指しており、鬼と蛇が対になっている(参考)。
ガラシャ様イメージの蛇はあきらかにネガティブだった。安珍・清姫伝説では清姫が蛇体と化して安珍を殺しちゃうのですが、ガラシャ様の「蛇」はこっちなんでしょう。
しかし後半の「まるで蛇のよう」なガラシャ様は白蛇だったよ。そういえば白蛇は吉兆、神のお使いと言われ、信仰の対象にもなってますね。
「蛇のような女でしょう」と気にするガラシャに対して、「そなたは花だ」と返事した地蔵ちゃんはえらい。
(現代的な目で見るとひどいDV夫だと思うよ。さすが戦国時代…)。
終わらなかった。続く。