[Zuka] 星組『ベルリン、わが愛』(3)

[Zuka] 星組『ベルリン、わが愛』(1)
[Zuka] 星組『ベルリン、わが愛』(2)

原稿からはみ出した部分を書き直したものです。これで終わり。

『ベルリン、わが愛』。 東京宝塚劇場公演では紅さんのテオを中心とした映画づくりに携わる若者達の情熱が強くなっていたように感じた。

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テオ(紅ゆずる)はカウフマン(七海ひろき)に長編トーキー映画「ジャズ・シンガー」の成功を訴えて、低価格のトーキー映画を作る許可を得る。トーキーを作る意義は音楽や歌を映画に取り入れられることだけれど、トーキーはおろか脚本を作った事のない絵本作家のエーリッヒに脚本を頼み、カフェで出会った酔っ払いの若手俳優に目をつけ、公演中の「黒いヴィーナス、ジョゼフィン・ベーカー」に飛びつく。

(カウフマンさんに大見得切ったわりには超行き当たりばったりくね?テオは向こう見ずな若者っぽい。カウフマンさん、フォローに走るんだろうな)。

(カッコ)内は観劇時の私の心の声です。

ジョゼフィン・ベーカー(夏樹れい)との邂逅はテオとエーリッヒに大いなる影響を与えたに違いない。

「私は舞台で戦い続けたいの。たった一人の黒人として」

威風堂々と宣言するジョゼフィン。ベルリンで生まれ育ったテオはジョゼフィンの言う人種差別をどう感じたか。

夏樹れいのタカラジェンヌとしての歌とお芝居がこれで見れなくなるかと淋しかった。この場面はとても良かった。原田先生は場面場面は見応えがあるものが多い。

このジョゼフィンの名場面が、後半ユダヤ人であることを暴露されたジル(綺咲 愛里)が「あなたの夢を壊してしまうわ」と肩を落とした場面に結びつくのだろう。ただジョゼフィンのパートは単独感が強く、『忘れじの恋』パートとシームレスに結びついていない感がある。

『忘れじの恋』もよくわからなかった。ゲッベルス(凪七 瑠海)は『忘れじの恋』が『アンナ・カレーニナ』『ラ・ボエーム』『第七天国』に迫る映画だったというけれど、そ、そうですか?どこが?シナリオ?演出?ヒロインはレーニ(音波みのり)ですよ??花売り娘は脇役なんだけれど。

制作側のカウフマンさんが『忘れじの恋』完成時に大感激していたのは判る。裏で走り回っていたはずで、きっとやきもきしていたよね。評価が高けりゃ、ビールはうまいよ。カウフマンさん自身が物づくりの人で、いい上司で見ていると安心感があった。背景が想像できる。私はかいちゃんの作る人物像が好きなのだ。

脚本担当のエーリッヒも実はよく判らない人で、史実のケストナーと同一人物なのか?舞台上では、ほとんどルイーゼロッテへの愛しか語ってない。表現に対する考え方は脚本に出るはずだけれど、『忘れじの恋』は舞台で演じていた以外は素晴らしい出来だったのか?『ビスマルク』もラストはテオの改変になってしまった。ゆえにエーリッヒが良い役かと言われるとそうでもないと思っているけれど、礼真琴の明るさや伸びやかさ、有沙瞳とのコンビネーションがよかった。ルイーゼロッテ(有沙瞳)は良い役で、カフェで働きながら、あれこれと支えに回る気働きの若い女性。

ジル(綺咲 愛里)はユダヤ人であるために怯えて隠れて生きてきたような女性で、レーニの誘いでうっかり映画に出てしまって、仲間を得て、前を向く転機となった。ユダヤ人であっても主張して良いとテオが背中を押して、ちゃんと応えられる女性だった。

レーニはフーゲンベルク(壱城あずさ)といつまで続くかわからないけれど、女優をあきらめてプロパガンダ映画で才能を花開かせたんだったら、それはそれで見事だ。はるこちゃんのレーニはそれでも不思議ではない破天荒さと逞しさがあったので強く生き抜きそう。

こう考えてみると、『ベルリン、わが愛』は女性の造形がよかった。カフェの女将ゲルダ(万里柚美)も若い映画関係者達のくつろぎの場を提供し、いざとなったら助けに回るきっぷの良さ。

サブで一番いい役は、ヴィクトール・ライマン(天寿光希)。ゲルダとのロマンスまであって、テオを励ます頑固な職人気質の俳優。天寿さんがうまいよ。付き人のグレゴール(ひろ香 祐)の合いの手も渾身でした。新公ライマン役の颯香凜ちゃんもよかったです。

若手俳優のロルフ・シェレンベルク(瀬央 ゆりあ)、クリストフ(紫藤 りゅう)、エルマー(天華 えま)の配置も良くて、それぞれで性格わけをしていて、見分けがつく。

『忘れじの恋』の乳母(紫りら)や新聞売り(天希ほまれ)、エヴァ(小桜 ほのか)などの役で下級生にも原田先生は目配りしているんですが、いかんせんUFA重役はほとんどモブと化していたのがもったいなく、中堅どころも上手に活用して欲しかった。(ほのかちゃんは美しいほうに進化して行ってほしいです。)

なんだか不整合が多くて、引っかかる箇所が多かった『ベルリン、わが愛』だけれど、テオがナチスの弾圧に抗し、”俺たち”の「映画の灯」を守ろうと声を上げると、カウフマン、エーリッヒ、ジルが呼応して歌い継ぎ、合唱となる「俺たちの映画」の場面は好きだった。紅さんの求心力が増していく。

(夢妃杏瑠ちゃんがいきなり前に出てきて歌うのが不思議だったが、上手いので許される(ル・サンクのシナリオでは「女優」だった))。

『ベルリン、わが愛』はテオ達の成長物語だった。トーキー映画を作って映画監督として名を上げたい若者が、映画作りを通して、自己の表現の本質に目覚めていく。

原田作品は描きたいことや場面があるのは判るのだが、ストーリーにすると不整合が目について思考や感情の流れに支障をきたす。舞台は作りこまれた作品なので、そんなのだったら変に書き込まないほうが良いという場合もある。ケースバイケース。