[Zuka] 2014雪組『前田慶次』★ネタバレ編(上)

慶次の愛馬・松風が大人気。松風人形がキャトルレーヴで、近日発売予定だとか。松風はアドリブが多く、捨丸@みゆちゃんに、「飼い主に似る。きっと女に甘い」と言われて、頷くのもアドリブらしいです(笑)。

★ネタバレ警報★

前田慶次ポスター
前田慶次ポスター

慶次の生きる時代は、長かった戦国時代が終わり、天下泰平の世になりつつある過渡期。

天正13年(1585年)、豊臣秀吉(夏美 よう)は関白に就任した。北条氏政(央雅 光希・北条氏直(朝風 れい)らの抵抗はあるが、関白・秀吉による天下統一は目の前であった(小田原征伐1590年)。

この時代は、秀吉が作らせたと言われる「黄金の茶室」で判るように、やたらバブリーな時代で、舞台上でも、”聚楽第で催された北野大茶会(1587年)”や”遊女屋を集めた京都の柳原遊郭の開設(1589年)”が取り上げられている。

前田慶次(壮一帆)の着ている着物も豪奢で、ピンクの生地に銀糸の桜が散りばめられた袖なし羽織に、紫を基調にした着物、白を基調に赤や青のクジャクの羽が散らしてある着物など、艶やかで奇抜で、舞台上でひときわ異彩を放つ。

他人と同じことをすることを好まない傾寄者に相応しい。

傾寄者は、上位の者であっても軽々しく頭を下げず、剛毅を誇る。いくさ人であることを自負し、闘争の場にも遊び心を持ち込む。織田信長(透真 かずきや豊臣秀吉夏美)も、傾寄者と呼ばれた異端児であったという。

舞台上で、秀吉が、「こんな偉うなってしもうて、ひとりで遊びに行くわけにもいかへん」(不正確)とぼやくが、織田信長と豊臣秀吉という二人の傾寄者は、戦国時代を終わらせた。群雄割拠、下克上・主君押込の時代はすでに終焉を迎えており、武士達がいくさ場で勇猛さを誇示する機会も減っていた。

傾寄者達は、典雅と風流を愛する数寄の道を行くか、伊達と無頼のいくさ人の道を行くか、意地を貫き通す道を探していた。そんな中で、天下一の傾寄者を名乗り、世捨て人となった慶次は、時代のあだ花であったのだろう。

さて、ヅカ版『一夢庵風流記 前田慶次』には、もう一人、時代のあだ花となり、意地を貫き通す道を探す者がいる。

小姓上がりの牢人で、前田家お抱えの忍び偸組の頭領となった雪丸(未涼 亜希)である。

(続く)

と、想像を交えつつの感想ですが、時間切れとなりました。早めに更新するつもりです~。