昨日が千秋楽だった雪組『ベルサイユのばら』。その前日の、龍真咲(月組トップ)がアンドレ役で特出する最終日(前楽)を観劇した。
一言で言うと、許されぬ身分違いの愛に、悩み苦しみ、騎士としての本道を貫こうとする、フェルゼン@壮一帆の名場面集といった感じの本公演であった。 今回はオペラグラスを持参したので、壮さんのドヤ顔をばっちり見ることができた。そして、マリー・アントワネット@愛加あゆは、最後の牢獄の場面で、典獄ベルナール@彩凪 翔に連れられて、フェルゼンの前から去る姿には、フランス女王としての揺るぎない誇りと覚悟をみなぎらせて、圧巻。
雪組新トップコンビの宝塚大劇場でのお披露目公演、大成功おめでとうございます。
「宝塚はひとつ」と「組の個性」
小公子・小公女たちの「ごらんなさい」の後に、パペットを模して踊る仮面舞踏会があり、マリー・アントワネット役の愛加あゆ、続いてフェルゼン役の壮一帆が「愛の面影」を歌う。ここまでは、前回見た「雪組バージョン」と同じなのだが、問題は、次のシーン。
アンドレ役の龍真咲のみが、せり上がりで登場し、「愛あればこそ」を歌う。あれ、月組トップの特出によるアンドレ役とはいえ、『ベルサイユのばら』で、アンドレが、オスカルより目立つってありなんだろうか。なにか違う気が…
今年観た『ベルばら』公演で、次の組み合わせが好み。
- 明日海りおのオスカルと龍真咲のアンドレ
- 早霧せいなのオスカルと未涼亜希のアンドレ
明日海りおのオスカルは、「女性」なのだがやや少年っぽい中性的な美しさがあり、力強い龍真咲のアンドレと良く合っていた。”まさみりコンビ”が長いためか、あうんの呼吸的な距離感の近さも良かった。(『戦国BASARA』の明日海りおの「中性的な」上杉謙信は持ち味にあっていそうで、期待している)。
早霧せいなのオスカルは、硬質な美しさの中にあだっぽい色気が潜んでいて、そこが未涼亜希の渋くて地に足の着いた感のあるアンドレと雰囲気が補完し合っていて、好みの一対になっていた。
早霧せいなのオスカルと龍真咲のアンドレの組み合わせは、バランスが崩れていた。龍真咲が1人で銀橋で歌う姿は情感が籠もっていて力強くて、とても良いし、早霧せいなのオスカルの立ち姿は、彫刻のように端正で美しく、演技も歌も達者で、何年後かには大羽根を背負っているかなぁと思うと、楽しみになってくる。
それなのに、龍と早霧の2人が並んで立っている姿を見て、「お似合い」と思えないのだ。なんだろう。「美しさ」と「演技」のタイプが違うためかも知れない。合作マンガで、絵柄の違うキャラクターが会話しているみたいな距離感を、早霧オスカルと龍アンドレの組み合わせに感じる。フィナーレ後の挨拶では、龍真咲と早霧せいな、夢乃 聖夏は、同期(87期)で、話も良くしているそうだし、仲が良い悪いとかの「距離感」ではないんだろうな。
そう考えてみると、確かに「(組が違っても)宝塚はひとつ」なんだけど、「組の個性」「組カラー」って、「美しさ」や「演技」の異なる人たちが相互補完したり、協調したりして、出来ていくものだなぁと思う。その「組カラー」がトップ由来で創られたなのか、その組の文化として築かれてきたものかは、組によって違うのかもしれないけれど、「組の個性」があるからこそ、各組公演をまんべんなく見に行く楽しみがあると思った。
6月も目白押しです。ちょびっと大変←嬉しい悲鳴。
■主演・・・壮 一帆、愛加あゆ
三井住友VISAカード シアター
宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-
~池田理代子原作「ベルサイユのばら」より~
脚本・演出/植田紳爾 演出/鈴木圭
宝塚大劇場公演 公演期間:4月19日(金)~5月27日(月)