[stage] 『レベッカ』(2)終

映画(映画スクエア>レベッカ)は資産家だが俗っぽいところがあるマキシム(ローレンス・オリヴィエ)と若く美しいが貧しくてちょっと野心のある「わたし」(ジョーン・フォンテイン)と、コワモテの母的なダンヴァース夫人(ジョージ・サンダース)による心理サスペンスなのだが、舞台は見え方が全然違う。

『レベッカ』でヒロインが「わたし」で名前が載っておらず、後半に「ド・ウィンター夫人」と呼称される。原作の小説は未読なのだが、一人称「わたし」の視点で物語が紡がれる形式なのだろう。そのため映画で名前がなく、舞台でもついていない。「わたし」が誰かに名前を尋ねられる場面や呼ばれる場面すら描かれていない。マンダレイのことを知らない「わたし」の視点で何もかもが手探りで始まる。『レベッカ』は「わたし」の物語なのだ。

【げきぴあ】の『レベッカ』インタビュー&レポート

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★ネタバレあり★

モーニングルームで、「わたし」(桜井玲香)はピアノの上にあった天使の置物を触ろうとして壊してしまう。ダンヴァース夫人(涼風真世)の怒りを思って怯えていると、「わたし」を探して、マキシム・ド・ウィンター(山口祐一郎)の姉ベアトリス(出雲綾)とその夫ジャイルズ(KENTARO)が登場する。

ベアトリスとジャイルズは、「わたし」にもう親戚なんだから仲良くしましょう、と『親愛なる親戚!』を歌い出す。ダンヴァース夫人の『何者にも負けない』に続く場面から切り替わり、明るくて一息つけて楽しい場面だった。

ダンヴァース夫人はひた隠しにするが、レベッカは貞淑な貴婦人というわけではなく奔放で、レベッカの従兄弟のジャック・ファヴェル(吉野圭吾)も浮気相手の一人だった。崩れた雰囲気のファヴェルが、ベッドの上でレベッカのナイトガウンを抱きしめてダンスするのが、妙に艶かしくて、在りし日の2人の情事を思わせる。彼流のダンヴァース夫人への嫌がらせと媚びと甘え。ファヴェルは「わたし」を値踏みし、口止めして帰っていく。三つ揃いのスーツをビシッと着こなして、セクシャルなアイコンを下品に見えないよう、ギリギリで表現できるのは吉野さんだなぁと思った。アルトワ伯もそうだった。

涼風さんのダンヴァース夫人は、白髪交じりとはいえ、ファヴェルが誘惑できる程度に若く見えるのだが、どう見ても涼風ダンヴァース夫人は男嫌いなのである(映画のダンヴァース夫人はちょっと違う)。ラスト近くで、ダンヴァース夫人が「あの方(レベッカ)は男など軽蔑の対象」ということを言うのだが、そのセリフがまた、本当にレベッカがそう思っていたのか、それはダンヴァース夫人自身のことではないのか、と疑念を抱かせる。ダンヴァース夫人とレベッカが同一性を有していると「わたし」は思っているようだが、果たして実際はどうだったのか。

使用人たちには未だに亡くなったレベッカを「ド・ウィンター夫人」とみなしているようなところがあり、美しいレベッカのようにはなれないと思った「わたし」は、フランク・クロウリー(石川禅)に悩みを打ち上げる。彼は「あなたの役目はマキシムにレベッカを忘れさせること」と答え、「わたし」を安堵させる。徐々に屋敷の中に味方を増やしていく「わたし」。フランクはマキシムを子どもの頃から知っていて、様子を気にかけながら密かに再婚を喜んでうまくいくように願っている。そんな実直さが心強い。

観客としてマキシムと「わたし」を見る目はベアトリスか、フランクに近かったような気がする。2人がうまく行きますようにと出過ぎずに成り行きを見守る。

「わたし」が屋敷の付近を散歩していると、海辺のボート小屋のそばでベン(tekkan)というホームレスに会う。「彼女はどこかへ行っちゃった」とつぶやいて精神錯乱状態のようなベンは病院に連れて行かれるのを恐れ、逃げてしまう。残された「わたし」が不安な面持ちでいると、探しに来たマキシムがボート小屋に近づくなと激怒した。これまで優しく大らかだったマキシムの怒りに「わたし」は恐ろしくなって追い詰められ、ベアトリスに相談する。

ドレスアップした「わたし」は、意気揚々と仮面舞踏会の会場に登場する。そのドレス姿を見てマキシムが激怒する。ダンヴァース夫人が勧めたドレスは昨年、レベッカが着ていたものと同じデザインだったのだ。この嫌がらせによって、ますます「わたし」は精神面で追い込まれ、ダンヴァース夫人のそそのかしで海に飛び込もうとする。

船が難破し、救助の際に沈没していたヨットが引き上げられレベッカの遺体が発見される。

マキシムはレベッカの遺体が見つかって、「わたし」に、男性関係が派手だったレベッカへの憎しみ、そしてレベッカの死に関わったことを告白する。山口さんが独特の声で『凍りつく微笑み』を歌いながら吐露するところは、突如として怒り出すというのは怒りっぽいというより、このことがあるのも大きいのだろうと思いあたる。そしてマキシムは「わたし」に弱さをさらけ出し、レベッカの影から逃れるように寄りかかろうとする。

前半のマキシムは、若くして後妻で、マンダレイに来てくれた「わたし」のことを大切に慈しんでいて、愛というよおおり安らぎを求めているように見えた。マキシムは、亡きレベッカのことには触れたがらない。そのため「わたし」はマキシムがまだレベッカを愛していてその死から立ち直ってないと感じたのだろうか。

仮面舞踏会でドレスアップして高揚して今までとは違うと歌う「わたし」とマキシムが自分を必要としていることを知った「わたし」では後者の方が断然強い。

この後、レベッカの私物をバンバン処分しだして、ダンヴァース夫人に「今のド・ウィンター夫人はわたし」と言い切る。「わたし」を気後れさせ、怯えさせていた暗雲は消えた。清々しい表情の「わたし」=ド・ウィンター夫人。

レベッカの死因に疑惑が出て、マキシムを召喚して査問会が開かれる。お互いのことを心配し、思いやるマキシムと「わたし」。2人の間に愛が成熟していく。

査問会でマキシムは誠実に答えようとするが、レベッカの死に関わりがあると判明するのは避けたい。当たらず障らず質問に答えるが、ボートはドリルで穴が開けられ人為的に沈められた疑いがあると告げられ、レベッカとの夫婦仲に言及されると、カッとしたマキシムだが、傍聴席の「わたし」が倒れ、査問会は中断する。

査問会後、ファヴェルがレベッカからの手紙を持って、金をせびりに来る。レベッカは死の当日にロンドンからマンダレイに帰宅する予定でファヴェルを呼び出していたのだ。自殺する人間とは思えないとファヴェルは言う。マキシムは恐喝には応えず、来訪した警察署長のジュリアン大佐(今拓哉)に審議を任せる。

ファヴェルは次に海辺で放浪するベンを連れてくる。「わたし」はベンが怯えているのを気にしながら、マキシムを守ろうと全身でベンに訴えかける。

マキシムを守ろうとする「わたし」と「わたし」を守ろうとするマキシム。この場面が好きだった。頭に血がのぼりそうになるのを抑えて、「わたし」を守るように立ちはだかるマキシム。ベンが登場するとマキシムの前に出て、ベンに呼びかける「わたし」。

ベンは優しくしてくれた奥様を覚えていた。フランクが、ベンをファヴェルから引き離すように連れ去る。

(しかしレベッカの死の当日の行動を知っているのがファヴェルだけだったら、真っ先に疑われるのはファヴェルじゃないの?と理性は囁いていたのだが、おとなしく受け身で見ました)。

ロンドンの医者の記録から、レベッカは余命2週間の末期がんであったことが判明し、自殺という結論で捜査は終わる。真実はマキシムが殴って倒れて頭をぶつけて死んだ過失致死であり、死体遺棄であるが、それはマキシムと「わたし」の秘密になる。

ここも複雑で、レベッカに他の男の子どもができたと告げられて怒って殴ったマキシムだれど、末期がんだったのを隠して妊娠と言い、わざとマキシムを怒らせたと理解した途端に気持ちが落ち着いたように見えた。「私を道連れにしようとしたんだ」。死出の旅路の道連れにレベッカはマキシムを選んだ。その事を知って、彼の憎しみはなだめられたのか。「わたし」を安心させるように呟いた3度目のマキシム役の山口さん。芝居が深くて、セリフ一つにいくつもの感情のひだを見る。愛、憎しみ、追憶、孤独、不安、恐怖、慈しみ、安堵。

一区切り付いて2人で話し合うマキシムと「わたし」は燃え上がるマンダレイの屋敷を見つけたのだった。

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プロフェッショナルのベテランが集まると、こういう芝居になるのかと思う。セリフひとつの含蓄が深い。キャストが変わるとガラリと変わる気もするが、今回はひとつのパターンのみでした。