[Zuka] 花組『ポーの一族』(2)宝塚化とは

いったろう、不死身だって。年もとらない。病気も大ケガもしない。わたしたちが生きていくためには、すこしばかりの…

人間の血(エナジイ)がいるだけだよ。
老ハンナ / メリーベルと銀のばら / ポーの一族(小学館)萩尾望都

「永遠のこども」というアイディアを書くために萩尾望都氏が選んだのが、吸血鬼という存在である。バンパネラはマンイーター、人間のエナジィと赤いバラを食用にする。エナジイは、「血」であり「生気」である。

花組版では、バンパネラになったばかりのエドガー(明日海りお)は、コベントガーデンで花売り娘のディリー(音くり寿)のエナジイを吸う。音くりちゃんのディリー(ソロがあって印象的だった)のその後は判らないが、原作でエドガーに最初にエナジイを吸われた少女ディリーは死んでしまう。

騒ぎになり、エドガー達は町を出る。人間からバンパネラに変化すると意識も変わるらしい。

人ひとり殺しても後悔もないなんて。
まるで、この手と同じように冷たい。
エドガー(前掲書)

ポーツネル男爵は、エドガーを叱り飛ばして、言う。

みのった麦を刈って、人間が生命をつなぐなら、われわれは人間を刈って、生命をつないでいる。ただ、われわれの麦は知恵を持っている。あなどるとこちらがやられる。
ポーツネル男爵(前掲書)

吸血鬼のイメージを一変させた幽玄で繊細、美しく残酷な世界『ポーの一族』。

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小池修一郎は、パンフレットにおいて、ポーの一族が(連載当時)上演に至らなかったのは、『「主役が少年のままである」「バンパネラという負の存在」の2点が宝塚の男役トップスターの存在様式と折り合わなかったからだろう』と述べ、自身もそう認識し、宝塚歌劇でポーの一族を上演する夢を封印したという。

主役が少年というのは確かに難しい。男役は大人のカッコよさが好まれる。子役を下級生の娘役が担うことが多いのは、身長、声質(声変わり前の高音)、若々しい容貌が必要とされるからである。そして少年だからこそバンパネラ(マンイーター)だからこそのエドガーの苦しみである。この2点をクリア出来るスターとは。

花組トップスター明日海りおの時代に上演の再検討が行われたのは、奇跡のような巡り合わせだったのか。颯爽とした格好良さから、お茶目な可愛さまで幅広く、陽と陰を併せ持つ明日海。ポスターの明日海りおは、すでにエドガーであった。ブルーのコンタクトの効果もあるが、赤いバラを背景に少年であって少年ではないもの。人ならざるものがそこにいる。柚香 光のアランの視線、仙名彩世の気高いシーラと力の入り具合が判る(パンフはもっとスゴイ)。この舞台を観劇できた僥倖。

小池修一郎は花組での上演のためにオムニバス形式の原作を脚色し、70人を越える花組生(退団した3名を加えて上演時77名かな?)+専科さん(ナガさん)に役を与え、2時間30分に及ぶ1本物として再構成した。オリジナルキャラクターを配置し、『ポーの一族』『ポーの村』『グレンスミスの日記』『メリーベルと銀のばら』を軸に時系列順に物語を再構成し、主要キャラクターが集合する場を設定し、婚約式や降霊術で盛り上げてクライマックスへ向かう。

宝塚歌劇の座付き作家としてオリジナル作品や海外ミュージカルの宝塚化を多く手がけて「宝塚歌劇」を創り、ミュージカル界全体でも第一線で活躍する小池が、これまで蓄積した技術と経験を注ぎ込んだ舞台となった『ポーの一族』。小池オリジナルの『ALL FOR ONE 〜ダルタニアンと太陽王〜』よりも、小池のテイスト、セオリー、テンプレートを濃く感じる作品となっていたが、それが小池による宝塚化ということであり、小池が宝塚化する作品は「これぞ宝塚」と言われる作品になりうるという事を示した。

もちろん小池ひとりで「宝塚歌劇」を創ってきたわけではなく、上の世代や同年代のベテランの座付き作家達はそれぞれ個性を発揮した作品で「宝塚歌劇」を創ってきた歴史があり、若手の座付き作家達の活躍も目覚ましい。その中で、小池が創る作品が「これぞ宝塚」と呼ばれ続けるということは大変な努力の賜物なのだろう。緻密で大胆な世界観、スケール大きく舞台を構成する脚本と演出、各組の特徴を把握した当て書きとオーディション含むキャスティング、生徒への信頼、顧客ニーズの把握、飽くなき美の追求。『ALL FOR ONE』と『ポーの一族』と続いて圧倒された。

元々、私は『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』で宝塚歌劇にはまったので、小池作品に弱いんだと思う。エンタテインメントの巨匠は、タカラヅカに環境問題やらフェミニズムをこっそり混ぜようとして、時折スベってヅカオタに突っ込まれる。今回も作品の魅力を「ファンタジーでありながら、社会に適応できずドロップアウトする若者という普遍的な問題もえぐっている」とか仰っていて、ふえええ、アランが社会社会不適応でドロップアウト?ポーの一族ってそういうお話だっけ、それは、ぽいちの一族の話ですか?的なことを思ってしまいましたが、そういう所も実は愛すべき魅力のひとつなんですね。

同作を学生時代に読み、1977年の宝塚歌劇入団からずっと舞台化を夢見てきた演出家・小池修一郎氏(62)は「41年前の自分に、素晴らしいキャストで上演できるんだよ、と伝えてやりたいぐらいの気持ち」と笑顔。「ファンタジーでありながら、社会に適応できずドロップアウトする若者という普遍的な問題もえぐっている」と、作品の魅力をPRした。「ポーの一族」で宝塚104周年幕開け!萩尾望都さん「漫画から抜け出してきたみたい」 : スポーツ報知