[Zuka] 宙組『神々の土地~ロマノフたちの黄昏~』

東宝千秋楽(11/19)が明日に迫りました。東京遠征もしましたが、宙組トップスター朝夏まなと様退団公演の『神々の土地~ロマノフたちの黄昏~』『クラシカル ビジュー』。12月1日発売の宝塚イズム36に原稿を書いたら、満足しちゃってました。

ロシア帝政末期に起きた怪僧ラスプーチン暗殺事件を題材に、暗殺の実行者であるドミトリー・パブロヴィチ・ロマノフを主人公にし、ロマノフ家の終焉とロシア帝国の滅亡の史実に創作と改変を交えて書き下ろした上田久美子氏のオリジナル大劇場作品第三弾。

美しい物語だった。救われるものはおらず、悲劇性の高い物語だけれども、歴史の歯車とはこういうものかと思わせてくれた。そこに描かれていたのは、自分の生きる道を考え、自分に出来ることを成そうとした数多の人々の姿であり、大地に刻み込まれた人々の愛の姿であった。

上田せんせい。公演中もセリフや小道具など細部の改善を続け、美の追究に余念がなかったらしいですが、作品の緻密な構成と登場人物像の丁寧な造形が冴え渡り、まぁ様を中心に宙組が一丸となって取り組んでいる姿に観劇の度に感動していました。

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「ラスプーチンはなぜ殺されなければならなかったのか」というのが、初見の終演後に沸き上がった私の疑問だった。史実ではなくて、あくまで『神々の土地~ロマノフたちの黄昏~』という作品を見て沸き上がった思いである。

ラスプーチンはロシア帝国の滅亡の一因となったと言われる祈祷僧で、ニコライ二世(松風輝)と皇后アレクサンドラ(凛城きらに寵愛され、皇帝と貴族の対立を作り出した。本作では愛月ひかるが演じ、ロシア皇帝ニコライ二世の従兄弟であるドミトリー・パブロヴィチ・ロマノフ(朝夏まなと)に殺害される。

ドミトリーはラスプーチン暗殺を拒否し、皇女オリガと自分との婚姻による貴族間の融和を目指していた。それなのになぜ苦渋の選択をせざるを得なかったか。

本作におけるラスプーチンは、農夫の祈りと呪いを体現する者であり、単なる悪役、汚れ役とは異なる者、神性を帯びた者であった。金は使い道がないと言い、権力も拒否する。ドミトリーと親しい猟師イワンはラスプーチンを「農夫ではなくペテン師」と指弾するが、ラスプーチン自身は自分を「農夫ごとき」と言い、ロシア帝国を最下層で支える農夫であることを自認する。そして「見捨てられた者たち」である農夫の無力な祈りだけが神に届く、自分が死ねば皇后も皇帝も死ぬのだとドミトリーに迫る。

私にはこの時、ドミトリーがラスプーチンに魅入られてしまったように見えた。前線から戻り、皇帝一家へのロシア国内の不信感をひしひしと感じているドミトリーにはラスプーチンの言葉は呪いのように届いた気がした。だから、何かを感じ取ったドミトリーの親友である大貴族ユスポフ家の嫡男フェリックス(真風 涼帆)は「あいつを殺そう」とドミトリーがラスプーチンにシンクロし、農夫側につくのを制したのだと。

ラスプーチンはドミトリーとお互いの信念に従って生きようと誓い合った同士であるイリナ(伶美うらら)を見つけ、ドミトリーと皇女オリガ(星風まどかとの婚約の場でドミトリーには別に愛する人がいることを暴露するニコライ二世に真意を問われたドミトリーの前にボリシェビキによるテロルに遭遇したイリナが姿を現す。ドミトリーは心を抑えきれずに皇帝一家の目の前でイリナに駆けより、抱きしめてしまう。

続くボリシェビキ達との抗争で身近な者達を亡くしたドミトリーは、ニコライ二世のロシアに見切りをつけ、ラスプーチン暗殺に踏み切る。

ロシアの政治的な混乱を作り出しているのは、イリナの姉であるアレクサンドラのラスプーチンへの傾倒とニコライ二世の政治センスの無さである。ドミトリーは、皇后アレクサンドラの妹であるイリナの「お姉様たちを護ってください」という望みを胸に、皇帝夫婦の子どもたち、オリガや皇太子アレクセイ(花菱りずに愛情を注ぎ、マリア皇太后(寿つかさやフェリックスの企てるクーデター計画には乗らず、政治の立て直しに心を砕こうとした。そのドミトリーを、自分が死ねば皇后も皇帝も死ぬと豪語するラスプーチンの殺害に踏み切らせたのは、やはりイリナへの愛ゆえであった。

暗殺の場でのドミトリーはロシア皇帝という君主制での唯一神を殺す者であり、ラスプーチンは神の身代わりとして現実的に殺される者となった。

皇后アレクサンドラのまっ白なドレスの裾を持ち、緋色の敷布が敷かれた大階段を登っていくラスプーチンを銀橋に立ったドミトリーは、背後から銃撃する。一撃、二撃、三撃。ドミトリーは、それでも倒れない素手の、神に仕える者であるラスプーチンに軍刀で斬りかかる。

神殺しを成したドミトリーは重い足どりで、アレクサンドラが登ろうとしていた大階段を登る。

本作におけるロシアの唯一神はドイツ出身のロマノフではない皇后アレクサンドラであり、物語の背景にあるのはアレクサンドラとラスプーチンが創り上げた世界である。だからドミトリーは皇后アレクサンドラとラスプーチンが共にいる時と場所を選んだ。

そして神に成り代わろうとするドミトリーの隣に立つ者に、皇女オリガではなく、アレクサンドラの妹であるイリナであることを欲したのはラスプーチンであった。愛月の演じるラスプーチンは理性と知性を備えるが、その行動は衝動に突き動かさたものであり、彼自身が何を目指していたか、望んでいたのかは明確には描かれない。

その死はボリシェビキ達、本作ではジプシーのゾバール(桜木みなと)達に利用され、革命の破壊と創造にエネルギーを注ぎ込み、結果的には「ちっぽけな農夫一人の命」が、コップを溢れさせる最後の一雫となり、「見捨てられた者たち」、「無視されて来た者たち」の巨大な恨みがロマノフ家を滅ぼした。

ロシア帝国亡き後に出来上がった「みっともない名前」の労働者達の国家についてはまた別の物語である。

 

(あらすじ)

1900年代初頭、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世(松風輝)と皇后アレクサンドラ(凛城きら)は一人息子の皇太子アレクセイ(花菱りず)が患う遺伝性難病の血友病治療のため、農夫出身の呪術師であるラスプーチン(愛月ひかる)を重用した。

血友病は、遺伝的に血液凝固因子の異常があるために、出血が止まりにくいという症状を引き起こす。難病で幼少期に亡くなることが多く、日本でも1940年代までは平均死亡年齢が9.5歳だったという。(血友病患者へのエイジング・ケア(発行:バイエル薬品株式会社))

(英国ビクトリア女王の家系の血友病の遺伝的素因が、プロシア(ドイツ)とスペイン王家に嫁いたビクトリア女王の娘2人から各国に伝わった。ニコライ二世の妻アレクサンドラはビクトリア女王の次女アリスの娘であり、血友病保因者であった。)

皇后アレクサンドラはラスプーチンが重篤な血友病を患うアレクセイに祈祷を施し、痛みから解放する姿を見て、ラスプーチンに傾倒していくようになる。

当時ロシアは連合国として第一次世界大戦に参戦中で、ドイツ帝国相手に苦戦していた。皇帝夫妻は大臣を決めるにも戦況を占うにもラスプーチンを頼り、皇帝一家に対する貴族や国民の不満は高まった。国内ではウラジーミル・レーニンを指導者と仰ぐボリシェビキによるテロルが流行し、貴族は皇太后マリア(寿 つかさ)派と皇帝一家派に分かれ、ロシア帝国はズタズタに分断されようとしていた。

そこへ登場するのが、ニコライ二世の従兄弟であるドミトリー・パブロヴィチ・ロマノフ(朝夏まなと)である。

1915年、ドミトリーは、ニコライ二世の近衛連隊に入隊するために、前線から呼び戻され、世話になっていた亡き叔父セルゲイ大公邸を出て、首都ペトログラードで皇帝一家と暮らすことになる。

アレクサンドラ皇后の妹であり、セルゲイ大公の未亡人としてドミトリーの世話をしていたイリナ(伶美うらら)はドミトリーのために送別会を開く。

ニコライ二世の妹である大公妃クセニヤ(美風 舞良)とその娘アリーナ(彩花 まり)、ロシア帝国きっての大貴族ジナイーダ・ユスポワ(純矢 ちとせ)とその息子フェリックス(真風 涼帆)。そして内務省警察部長官であるロパトニコフ長官(美月 悠)やガリツキー将軍(星月 梨旺)ら錚錚たるメンバーが皇帝一家の噂話に興じている送別会を、ドミトリーはすっぽかし、猟師イワン(風馬翔)と大公邸近くの雪原に狩りに出てしまう。

モスクワ郊外のセルゲイ大公邸で開かれている豪奢な送別会。紳士淑女がタンゴを踊り、おやつにウォッカとキャビアが振る舞われ、小粋な会話が交わされる。一転して、銃声と共に広々とした雪原が広がり、猟銃を持ったドミトリーが銀橋を渡る。たき火のはぜる音と雪を踏む足音。ドミトリーが仕留めた獲物の鹿をイワンが運んでくる。

広大なロシアの大地を見渡し、その凍える気温の低さまで感じられるような雪原の風景。

ドミトリーとイワンしかいない雪原でイワンが息子が出兵している戦争を嘆き、ラスプーチンを農夫ではなくペテン師と呼び、皇帝一家はかかあ天下だと指弾する。イワンの嘆きを憂慮するドミトリー。

雪原にイリナが姿を現し、イワンは立ち去る。

イリナの忠実なる騎士であろうとするドミトリーは、イリナに望みを尋ねる。イリナがドミトリーに望んだことはただひとつ「お姉様達を護ってください」。それはロマノフ家を守ることであり、ラスプーチンと皇帝一家を引き離すことでもあった。雪原に二人だけで、お互いの信念に従って生きようと誓うドミトリーとイリナは惹かれ合う者同士の分かちがたい情感を醸しだし、強い印象を残す。

ペトログラードに旅立ったドミトリーと野戦病院の従軍看護婦(シスター)として働き始めたイリナ。

その時が刻々と近づいていた。