星組公演『桜華に舞え-SAMURAI The FINAL-』
『桜華』を見ていると、明治維新における薩摩藩士(+描かれていないだけで長州藩士も)の活躍ぶりに、江戸時代から明治にかけておきた日本という国の大転換を見たりします。そりゃ、幕府側だったジェラール山下(望海風斗)さん(るろうに剣心)や会津藩士の八木永輝(礼 真琴)さんが明治維新を否定したがるわけです。勝てば官軍、負ければ賊軍です。
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『桜華に舞え』のプロローグ(第2場A)は、若き薩摩兵児の中村半次郎/桐野利秋(北翔 海莉)や衣波隼太郎(紅 ゆずる)、川路利良(七海 ひろき)、高木兼寛(如月蓮)らが殺陣を繰り広げる。ここは総髪で長髪が涼やかな七海ひろきをつい見ちゃうんですが、とにかくね、テーマソング「桜華に舞え」を歌いながら、薩摩兵児達はみんな顔が明るい。「この戦が終われば、新しい時代が、良い世の中が来る、という期待が感じられる。
戊辰戦争~明治維新は、江戸から遠く離れた薩摩藩、長州藩、土佐藩などの下級藩士達の活躍が著しかったが、政変や革命というのはそれまで虐げられてきた下層階級による下克上という要素がある。フランス革命然り、明治維新然り。
キャストに各藩士の出身階層が書かれているが、桐野利秋(北翔)の城下士や衣波隼太郎(紅)・川路利良(七海)の郷士は薩摩藩士の中でも下級階層に該当し、作中では身分による迫害の根深さは明治維新の重要な動機として描かれている。
例えば、維新前の薩摩時代に、衣波隼太郎(紅)の想い人である竹下ヒサ(綺咲 愛里)が、桐野(北翔)や衣波(紅)の目の前で上級藩士(士分)に襲われそうになり、通りかかった西郷吉之助/隆盛(美城れん)に助けられる。西郷も下級藩士(城下士)の出身だったが、藩主・島津斉彬に認められ、出世を果たした、いわば下級藩士の希望の星だった。そして桐野(北翔)は、篠原国幹(天寿 光希)のつてで西郷に師事することになる。
また明治維新後に川路利良(七海)は衣波隼太郎(紅)は、欧州各国の警察制度を視察に行き、帰国した二人からは、「日本はこれから」「新しいポリス制度を作る」という意気込みが感じられる。維新前の薩摩において武士ではあるものの、毎日、農作業に従事し、士分に馬鹿にされていた頃とは雲泥の差である。
下級藩士でも違いがあり、桐野の城下士は士分に分類され、衣波や川路の郷士より身分が上である。このためヒサは相思相愛であった衣波ではなく、桐野に嫁ぐことになる。(←この辺りの細かさは、齋藤先生のこだわりだよね)。
そして大警視に出世した川路利良(七海)は衣波隼太郎(紅)に「士分から郷士の出と、罵倒され続けたあん時を忘れるな」と諭す。1871年(明治4年8月28日)に身分解放令が公布され、江戸時代の身分制度は廃止された。川路は四民平等を肯定する立場を取るのである。
西南戦争という内乱によって西郷隆盛を始めとする多くの薩摩兵児を失った大久保利通(夏美よう)は「明治維新とは何だったのか」と嘆き、岩倉具視(美稀 千種)は「それは後の世が決めることだ」(うろ覚え)と受ける。それに対して、川路利良(七海)は、「日本人と日本人の最後の戦いが終わった」と言う。
これは歴史を俯瞰する者が言うことで、その場に生きている者が言葉ではない(その後も内乱が起きる可能性はある)。けれど、私は、このセリフで、川路は徹底的に明治維新を肯定する立場なのだろうと理解した。それはそうだ。西洋の制度を参考に全国規模の警察組織を作ろうという人である。警察というのは公権力の代表格であり、その権力は、政府(国家)の統治機能に依拠する。川路は明治政府を肯定しないと、職務を果たすことが出来ないのである。
桜華の川路利良がヒールかというと、私には全く悪役に見えない。むしろ川路利良をすっかり美味しい役にしてしまった七海ひろきの力を思う。そして、川路利良を七海ひろきに配してくれた齋藤先生にお礼を言いたい。
桜華についてと言うより、桜華の川路さん語りになったが、かいちゃんも本物の川路さんファンだそうなので、まぁ良いだろう。
ちなみに桜華で誰がヒールに見えるかというと、壱城 あずさの山縣有朋で、馬車で女性をひき殺した後の態度が器の小ささや冷酷さに繋がり、桜華の登場人物の中でやや特異で、浮いた感じになっている。権謀術数を使うのは山縣さんなのだろうか。たしかに、歴史上の評価は芳しくない。→「悪役」山県有朋、日本近代史で再評価
参考)