『第二回 宝塚歌劇団 台湾公演』、台風で初日8月8日(土)19時30分公演が中止となったそうです。現地に台風による被害がないことを祈ります。そして大変ですが、払い戻しや代替も混乱を来さないように行われますように。花組の皆様も緊張が続きますが、美味しいものでも食べて、しばしの猶予をのんびりしてください。
(1)で、豪華さはやや控えめと書いた台湾公演に向けての梅芸公演『ベルサイユのばらーフェルゼンとマリー・アントワネット編』は、プロローグと中盤のスウェーデンの花祭りが新しくなっていた。プロローグはもちろん、スウェーデンの花祭りの場面は、昨年の旧バージョンも爽やかで大好きでした。花祭りの場面は、娘役達の作る色鮮やかで華やかな舞いに、男役のシンプルで切れの良い踊りが入る、時間軸や場所の切り替えにはもってこいの場面です。こういう切り換えに群舞を持ってくるのは、『風と共に去りぬ』でも見たので、植田 紳爾氏の手法の一つなのかなと思ったりしました。
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- 『ベルサイユのばら』のシンプルさと『1789』の重厚さ
100周年の宝塚歌劇を支えたのが、植田 紳爾氏と小池修一郎氏の作品群であった。この宝塚歌劇2大巨頭の作品群があってこそ、101年目の宝塚歌劇の隆盛がある。
この二人の作品の演出表現方法は、対照的である。
植田 紳爾氏の『ベルサイユのばら』は、ほとんど廻り盆を使わず、セットは簡素に近いほどシンプルであり、カーテン前での演技を良しとする。カーテン前での演技というのは、”背景や舞台装飾などのないカーテンだけがかかった舞台上で、衆目を集めることができてこそスターである”という意味があると、どの号が忘れたか『歌劇』で読んだ。
それに対し、小池修一郎氏の『1789』は、廻り盆機構をフル活用した動的な場面転換によって、舞台にスピード感を出し、リアリティを追求したバスティーユ牢獄などの大がかりなセットや映像を多用し、スペクタクルな重厚感を全面に押し出している。
これは演出に対する考え方と演出手法の違いであろうが、劇場を選ぶのは小池修一郎氏の演出手法だろう。月組公演『1789』は、宝塚歌劇団がフル装備の全力で創り上げたもので、大がかりな舞台装置が完備され、それに対するスタッフや安全策がきちんと取れる大型の劇場を必要とする。片や『ベルサイユのばら』は全国ツアーで各地を巡業できるくらいだから、シンプルな舞台装置があれば上演できる。
これは演出手法の違いであり、演出家の思想による差異であり、個性である。善し悪しや是非ではない。
星組全国ツアー版の『風と共に去りぬ』を観劇したとき、スカーレットがレット・バトラーが出て行くのを追いすがろうとする最後の場面で、宙組版では使われていた廻り盆による舞台転換がなく、ここはやはり廻り盆のほうが効果的ではないかと思ったことがある。宙組版は何度も見たので、泣き崩れるスカーレットと、そのスカーレットに目もくれず立ち去るレット・バトラーを乗せて舞台が回る。レット・バトラーに追いつけないスカーレットを象徴するかのようなラストは印象に残っていた。だが星組版は全国ツアー版だったゆえに、諦めざるを得ないものもあるのだろうと、勝手に納得していた。
”都会に観客を動員する”と”地方に住む人たちに観客になって貰う”。これが両立できるのは、多くの座付き作家と多様な演目を抱える宝塚歌劇団だからこそ、できることでもある。
地方巡業ができる宝塚歌劇団の代表作『ベルサイユのばら』を大事にして欲しいと願ってやまない。
(しかしやり過ぎは禁物で、キャスト違えど、同じ演目を何回も観ると、感覚が麻痺して、何が良いのか判らなくなってくる。リピーターから批判が多いのはそこだと思う)。
- 『ベルサイユのばら』におけるスターシステム
昨年の中日劇場公演では専科から特出した華形ひかるが演じるド・ブロイ元帥が作り出されていたが、宝塚歌劇のスターシステムに合わせた細かな変更が、今回も行われている。たぶん植田 紳爾氏は、宝塚歌劇の基本的なルールであるスターシステムを重視する演出家であり、演出に関しても基礎を重視し、シンプルさを信条とする方なのだろう。
今回は、オスカルとアンドレの絡み自体も少なく、フェルゼンとアンドレの会話やアンドレがカーテン前でオスカルへの想いを独白するソロ場面が設けられていた。これはスターシステムに則り、オスカル役の柚香光から、アンドレ役の2番手芹香斗亜に比重を移したのかなと推測した。
芹香アンドレは、背景や舞台セットのないカーテン前でひとり立ち、オスカルが密かにフェルゼンとの会話の後にオスカルへの想いを歌う熱唱した。観客の目を一身に集めた堂々たる2番手スターだった。
柚香光のオスカルは、アンドレが死んだ後の悲しみを振り払って立ち上がり、バスティーユに向かう演技が光っていた。ただ柚香光は、本物の男性より”男らしさ”を追求する男役としてオスカルを演じていて、歴代のオスカル役を演じた男役が言う、『男役が”男装の麗人”オスカルを演じる難しさ』が理解できた。”男装の麗人”オスカルは、男性用の服を着ているので仕草は男性側に寄っているが、”男らしく”と思っているのではなく、ジェローデルに「マドモアゼル」と呼ばれても抗わないように、女性としての自己認識を持つのだと思う。”女らしく”もなく、”男らしく”もないオスカルの難しさ、というのを改めて考えた。
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レヴューの『宝塚幻想曲(タカラヅカ ファンタジア)』(作・演出/稲葉 太地)について全く書いてないのですが、ショースター明日海りおを存分に輝かした、傑作と言って良い大好きなレビューです。
台風に負けず!台湾公演のご成功をお祈りします。