[ZUKA] 2015年花組 『ベルサイユのばら フェルゼンとマリー・アントワネット編』@梅芸(1)

約1か月半ぶりの更新です。この間に、大劇場は、宙組公演千秋楽を迎え、雪組公演が中日を過ぎてます。東京宝塚劇場は1789の千秋楽を終え、宙組公演が始まっています。まったく追いつきません。

8月に台湾で上演することが予定されている花組公演—フェル 『ベルサイユのばらゼンとマリー・アントワネット編—』『宝塚幻想曲(タカラヅカ ファンタジア)』の2本立てを、7月14日の革命記念日に観劇しました。ベルサイユのばらは、通常は1本もの2時間半で上演される演目ですが、これを1時間半に短縮し、宝塚幻想曲も大劇場版に手を入れて、半分の人数で上演されました。このまま8月8日からの台湾公演に持っていくようです。

99周年から組やキャストを変えて続いた『ベルサイユのばら』公演ですが、台湾公演でいったんは終了となるようです。脚本の植田 紳爾先生、演出の谷 正純先生、お疲れ様でございました。

ちょうど『ベルサイユのばら』の新刊12巻が7月24日に発売されましたが、エピソード5・6は、ジェローデルとフェルゼンの妹ソフィアを中心にしたお話でした。年月を経て、絵柄は変わりましたが、池田理代子氏の描きたいものは変わってないんだなぁと、その精神の強靱さを感じた新作でした。

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2時間半を1時間半に圧縮したために、ストーリーはかなり刈り込んであり、テンポも速く、最初は早送りで見ているような感覚になったが、ストーリーに齟齬が無いために引っかかる箇所がなく、流れがとてもスムーズで、キャストの熱演に集中できた。このスムーズさは、花組にとって昨年の中日劇場公演に続く再演ということも大きいのだろう。

  • 90分の『フェルゼンとマリー・アントワネット編』は、究極のシンプルさ

キャストはフェルゼンに花組トップスター明日海 りお、マリー・アントワネットはトップ娘役、花乃 まりあ

プロローグでの小公子と小公女による「ごらんなさい」は、中国語で歌われるが、明るく華やかに開幕し、これまでの『ベルサイユのばら』とは変わらない。ただフランスを去るフェルゼン伯が、国王に挨拶する場面は、王侯貴族が立ち並ぶ豪華な宮廷から、数名が臨席する謁見に変更になっており、宝塚歌劇が得意とする豪奢さは控えめになった。

また昨年の宙組全国ツアー公演や花組中日劇場公演と同様に、オスカルとアンドレのエピソードである「今宵一夜」が割愛された。「今宵一夜」は、故・長谷川一夫氏が振付を担当し、歌舞伎の型のように一つ一つの動作が決まっている。この様式美を遵守する植田 紳爾氏の作品は、“植田歌舞伎”と呼ばれるそうだが、このオスカルとアンドレが結ばれる場面は、毒殺の場面とともに、タカラヅカ版『ベルサイユのばら―オスカルとアンドレ編』を代表する場面である。

今回のフェルゼンとマリー・アントワネット編は、この『ベルサイユのばら』を代表する「今宵一夜」の場面を割愛して、オスカルとアンドレの出番をギリギリまで抑え、スウェーデン貴族フェルゼンとフランス王妃マリー・アントワネットに話をシンプルに絞ることで、フェルゼンとマリー・アントワネットの恋がどういうものであったか、フェルゼンとマリー・アントワネット編に欠かせない場面はどこなのかという、本質的な部分を鮮明に見せてくれた。それは王妃マリー・アントワネットに己を捧げ尽くして悔いない騎士フェルゼンの姿であり、ただ一人の女から母となり、王妃となって断頭台に消えていくマリー・アントワネットの姿である。

  • 『ベルサイユのばら』と対をなす『1789』

ちょうど7月26日に東京公演千秋楽を向かえた月組公演『1789』においても、アントワネットとフェルゼンが恋人同士として登場する。悲劇の王妃マリー・アントワネットと、彼女を守ろうとする騎士フェルゼン。

1789を潤色した小池修一郎氏は、『1789』のヒロインについて以下のように述べ、元のフランス版『1789』とは異なるタカラヅカ版『1789』の特徴を示した。

宝塚といえば「ベルばら帝国」である。(略)

そして物語のヒロインは、矢張り何と言ってもマリー・アントワネットである。(略)。
革命家たちの向かい合ったものの大きさを表す為にも、ヒロインはアントワネットでなくてはならず、(略) 
ー公演パンフレットより

宝塚歌劇の代表作である『ベルサイユのばら』の原作である池田理代子氏の『ベルサイユのばら』において、ヒロインは、最初から最後まで王妃マリー・アントワネットなのである。この精神を脈々と受け継ぐがゆえに、ヅカ版『1789』は、ヅカ版『ベルサイユのばら』と対をなす作品と成り得ているのだと思う。

東宝版『1789』のキャストも固まってきましたよ!

  • キャストの力を鍛える『ベルサイユのばら』

今回の台湾公演向け『ベルサイユのばらーフェルゼンとマリー・アントワネット編』は、ストーリーを絞り込んだため、難点も多い。フランス革命を題材とする物語の全体像は判りづらく、華やかさや豪奢さも乏しい。これまで『ベルサイユのばら』を何回も観劇し、『ベルサイユのばら』の世界を愛してやまない宝塚歌劇のコアファンはこれで物足りるかなぁとか、台湾の人たちがこのテンポで理解できるのかという懸念はある。

しかし、装飾やエピソードの枝葉末節を刈り込み、フェルゼンとマリー・アントワネットの物語としての本質を現した『ベルサイユのばら』は、演じるキャストの力が最大限に要求され、また最大限に輝く作品となっている。

過去に『ベルサイユのばら』は幾度となく再演され、何十人ものスター達がフェルゼンやマリー・アントワネットを演じている。それゆえに『ベルサイユのばら』という演目は、キャストの力を鍛える。演じるキャスト達は、背景資料を探し、原作作品を読み込み、過去の舞台を視聴し、「自分なら、その立場にあった時に、どう考えるのか」と、自らの拠って立つべき所を、自らの内部に探し求める。再演を重ねる作品の持つ重みというのは、歴代のスター達が積み重ねてきた苦しみと栄光の重みでもあり、それを引き継ぐキャスト達には、表面上の模倣で、フェルゼンとマリー・アントワネットを、オスカルとアンドレを、ベルナールとロザリーを、演じることは許されていないのだ。

明日海りおの演技は、物語の流れやテンポを掌握し、表情や動作にも常に計算が行き届いている。スウェーデン貴族の制服を着て、国王ルイ16世(高翔 みず希)のご下問に動じず、臆せず、自らの真実を答えるその姿には、トップスターとしての自信と風格が出てきていた。私が、明日海りおの演技は、歌に最も良く現れると思っていて、今回も「アン・ドゥ・トロワ」と「愛に帰れ」は、フェルゼンの苦しい胸のうちと、それでも拠るべき所は、王妃への愛のみであるとフランスへ駆け戻る決意を良く現して、心に響いた。

トップ娘役に就任して2作目の花乃まりあは、前トップ娘役である蘭乃はなのマリー・アントワネットを踏襲してファルセットを使い、線の細い華奢なマリー・アントワネット像を創り上げていた。だが、その華奢さを持ちながらも、蘭乃アントワネットが初めて歌ったという『王妃、その罪の先に』を歌い上げて、涙ながらに顔を上げる花乃まりあは、決意と意志の力に充ち、確かに己のマリー・アントワネットを掴んでいた。

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『ベルサイユのばら』を見ていて感じたことを書き連ねていたら長くなったので、ここまで続くにします。