[Zuka] 花のいのち-オスカル

かなめさん、すっごい良い笑顔ですね。やり切ったと思えたってことかな。良いことだけど、ちょっと寂しい。退団(卒業)まで、あと8か月ほどですが、毎日を充実して駆け抜けられるように、お祈り申し上げています。素敵な笑顔をありがとう。


去年から、宝塚歌劇では、『ベルサイユのばら』ラッシュですね。宝塚歌劇の100年の歴史の中で繰り返し上演されているベルばら。今年は、あと花組(中日劇場)と宙組(全国ツアー)の『フェルゼンとマリー・アントワネット編』が控えております。Twitterやblogを回ってみると、長いヅカファンの方はいろいろな視点でご覧になっているようですが、私がきちんと観たのは数少ないので、超個人的な感想をつらつらと。

『ベルサイユのばら』は原作の愛読者が起点ですが、宝塚歌劇の演目としての『ベルサイユのばら』もかなり好き。うーん、大好きと言っていいかも。今回も幕開けから嬉しい。

幕が開き、ピンクピンクのお衣装に身を包んだ小公子・小公女が現れ、「ごらんなさい♪ごらんなさい♪ベルサァーイユのばぁーら♪」と歌い出す。

なんという水戸黄門的安心感。マンネリズムの偉大さよ。

これぞタカラヅカ・ベルばらのオープニング♪

センターで小公子を演じるのは和希そら。小公女は真みや涼子と瀬戸花まり。和希そらは伸びやかに素直にソロを歌い上げ、真みや涼子と瀬戸花まりも期待の実力派娘役。脇を固めるバラの少年少女も麗しく、つかみはバッチリ。

公演時間は、約2時間半なので、ストーリーは1幕の「オスカル誕生~成長」→2幕フランス革命直前に飛ぶが、原作を読んでいれば、とても判りやすい。(←これは原作付き(特に長編)にする時のジレンマだと思う。

今回の宙組『オスカル編』は、「オスカルの生きた愛した闘った人生編」として構築され、「オスカルとアンドレの大恋愛もの」として仕上がっていた月組や雪組の『オスカルとアンドレ編』とは、異なる印象を受けた。

1幕前半は、ジャルジェ将軍の後継ぎの悩みとオスカルの誕生から始まり、オスカル(凰稀かなめ)の母や姉たち、画家の言動を通して、オスカルの育ってきた人生を描く。1幕後半からは、オスカルがフランスの現状に問題意識を持ちながら衛兵隊の隊長に着任し、フランス革命の皮切りとなったバスティーユ攻撃の最中に戦死するところで幕を閉じる。

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この『オスカル編』では、『オスカルとアンドレ編』にあった衛兵隊の隊員達が転売した銃剣について問い詰める場面がなくなり、三部会の会議場前での場面が入った。この場面がストーリー全体を引き締めている。

この場面で、民主主義を求める市民側(ベルナール@蓮水ゆうや+ロベスピエール@澄輝 さやと)と王権の権威をかざす貴族側(ブイエ将軍@寿つかさ)との対立構造が浮き彫りになり、その間で苦悩するオスカル(凰稀かなめ)とアンドレ(A朝夏まなとor B 緒月遠麻)、そしてアラン(A緒月遠麻 or B七海ひろき)ら衛兵隊の姿が鮮明になった。

全体としてオスカルを取り巻くアンドレ、ジェローデル、アランのそれぞれの立場(役割)が明確になり、ベルナールやロザリー(実咲 凜音)やパリ市民達の存在感が増している。

オスカルに求婚する近衛隊長ジェローデル(B朝夏 まなとor A七海 ひろき)は、原作に近い造形になった。ジェローデルは、オスカルをずっと「女性」として見ており、オスカルの人格と行動に敬意を払い、尊重している。そのため無理強いをすることなく、常にオスカルと意思疎通を図ろうとコミュニケーションをとる。今回のジェローデルは、理想の「貴族の中の貴族」として描かれている気がする。Bパターンの方が回数多く見たので、朝夏まなとのジェローデルは持ち味の華やかな気品がしっくり来ていた。七海ひろきのジェローデルもまっすぐな気性に熱さを併せ持っていて、格好良かった。←他に言葉が思いつかない。

【独り言】ジェローデルは内心は啓蒙思想の持ち主なんじゃないだろうか。原作のジェローデルが、オスカルに言う、「人の心に…命令は できませんぞ…」というセリフが、こてこての大貴族の思考から出てくるとは思えないんだよね)。

最後の第2幕第17場で、オスカルは天国で目覚め、「その花は、女として生まれ、男として生き、人として宙に還る♪ その花は その花は 宙に還る♪」(「花のいのち」作詞:植田 紳爾、作曲:吉田優子)と歌うのだけれど、まさに、そんなオスカルの生き様を描いた舞台だった。

※かなめさんは、お茶会で「アンドレは幕が閉まった後に、迎えに来るんです(笑)」と笑ってましたが、アンドレ不在の幕切れwオスカル編だから(^_^;)