本屋大賞の第1回受賞作品。文庫落ちしたので、読んでみました。
過去の交通事故が原因で、記憶が80分しかもたない数学者である「博士」と博士の身の回りの世話のために家政婦紹介組合から派遣された「私」、そして「私」の息子である「ルート(√)」が織りなす細やかな交流の物語。2006年お正月映画(公式サイト)
ストーリーも登場人物も複雑ではない。途中で私はこんなんで最後まで物語がもつのかと思ったくらいだ。しかし、読んでいてとても心地よい。なぜだろうか、と考えてみると、下世話なところや嫌みなところが少しもないのだ。現実離れと思われないぎりぎりラインで、浮世離れした心地よい空間を作りだしている巧みさ。また、博士が数学者であるという設定を十二分に活かし、数式の説明を織り込むことで、不可思議で荘厳な雰囲気を醸し出すことに成功している。非常に巧みだと思う。
また、この小説には、「過去」への拘泥がない。過去について触れられているのは博士の事故のことと「私」がシングルマザーになった理由だけで、最小限にとどめられている。
「私」は、シングルマザーでルートを生み育てている。普通の人なら、何らかの突っ込みや探りを入れずにはいられないところだ。ところが、博士は、「私」の「過去」のことなど何の詮索もしない。博士は、子どもだというだけで、ルートに無条件の愛情を降り注いでくれる。
それゆえに、「私」と「ルート」が博士に抱く感情は、感謝の念であり、愛情であり、友情である。
家政婦協会への依頼主である母屋の未亡人(博士の義理の姉)の怒りを買った「私」は、いったん博士の家政婦を解雇される。ほかの派遣先に出向いた「私」にとって、博士はもはや単なるお仕事の相手ではなく、友人として見過ごせない存在となっていた。博士が80分たてば、自分のことを忘れてしまうことなど関係ない。「私」にとって、重要なのは、自分の大事な友人が困っていないかということだけだ。大事なのは、過去ではない。自分たちが生きている現在と未来なのだ。
博士には過去の記憶しかなく、思わせぶりな過去の写真さえ出しておきながら、過去が描かれないので、登場人物達が現在と未来に向いて生きることが、くっきりと浮き上がる。
人の存在の意味、愛情と友情、生きている喜び。読後に暖かな想いがわき上がってくる。