[Zuka] 月組『夢現無双-吉川英治原作「宮本武蔵」より-』

宙組公演が始まっちゃいましたが、月組大劇場公演『夢現無双』『クルンテープ 天使の都』は、4/15(月)に千秋楽を迎えて、美弥るりかDS『Flame of Love』が17日・18日宝塚ホテル開催、21日・22日第一ホテル東京で開催でした。25日(木)が東京公演集合日でしたっけ。みなさま、お疲れの出ませんよう。

さて本公演は珠城りょう・美園さくら新トップコンビの大劇場お披露目公演であり、2番手男役スター美弥るりかの退団公演でした。

それを齋藤吉正&藤井大介という中堅演出家の代表格の二人が揃って作・演出の2本立て。濃いなと思っていたら、本気で濃かったです、愛が。濃すぎて『夢現無双』はちょっと盛り込みすぎじゃないかと思ったりしましたね。うん。

『夢現無双-』幕と『クルンテープ 天使の都』幕

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グランステージ『夢現無双 -吉川英治原作「宮本武蔵」より-』
脚本・演出/齋藤 吉正

脚本・演出/齋藤 吉正の『夢現無双』は、原作の吉川英治『宮本武蔵』(全8巻)から抽出した主要エピソードを網羅して駆け足でまとめ、盆を多用した場面転換でスピーディーに話を進める。

プログラムの齋藤先生の挨拶文および公式の演出家インタビューでは「宮本武蔵」愛が延々と綴られていて、サイトー先生、ほんとヒーローもの大好きですよね。珠城りょうに武蔵、美弥るりかに小次郎を配した、その信頼ぶりが伝わってきました。

ただ宙組『天は赤い河のほとり』を見ても本作品でも感じたことですが、90分の公演に盛り込まれたエピソードが多いとストーリーや感情の流れがぶつ切りになって、受け手の理解が追いつかない、感情移入がしにくい、乗り切れないなどが起こりがち。宮本武蔵を題材にした小説や映画、ドラマは多く、公式サイトには「剣豪・宮本武蔵」の解説人物相関図が掲載されていて、観客にも予習や復習を勧めてはいますが、有名なエピソードを知識として知っているのと、舞台に感動するというのはまた別のこと。

観客が舞台に感動するというのは、脚本そして演出、それとキャストの演技が噛み合うこと。脚本や演出に関して演出家それぞれの考え方やポリシーがあるでしょうけれど、90分しかないのでテーマに合わせてエピソードを効果的に絞ったほうがいいんじゃないかなと思います。物語の流れにメリハリをつけ、ドラマ性を高めることも大事。情感や余韻もほしい。

作品の出来栄えは、最終的に舞台に立つキャストに責任を負わせることになることを考えて頂ければ観客側として幸い。

作品のテーマは珠城りょう演じる宮本武蔵の成長物語、ですかね。向こう見ずな悪童だったタケゾウが、4年経って、吉岡道場の門前に宮本武蔵として姿を見せたとき、眼光が鋭くなり、見違えるように落ち着いている姿に目を見張りました。

演出家インタビューで探ると以下のような感じです。

彼も元は“悪蔵”と呼ばれ恐れられた粗野な少年でした。剣を通してライバルたちと対峙する中で精神が鍛錬され、人間性が磨かれていくさまに、憧れを覚える人は多いのではないでしょうか。

武蔵に「憧れを覚える人」とは!サイトー先生自身ですね。

武蔵の好敵手となる天下無双の男・佐々木小次郎。美弥るりかが紫の着物、緑の袴の小次郎姿で登場するだけで目を引く。背中に長刀・備前長船長光を背負い、冷静に周囲を睥睨し、難癖には理性的に対処する小次郎。着物の色合いのセンスがよき。

この2人がすれ違い、一瞬で互いの技量を見計らう場面はかっこよかった。一分の隙もない剣士・小次郎と力強く無骨な剣士・武蔵の好対照。小次郎は登場しても物語には大きく関わっておらず、美弥が、その佇まいで見せる。

私が印象に残っている武蔵の台詞の数々。

沢庵和尚に叱られて、「俺は強い!」と涙する武蔵。

沢庵和尚に宮本武蔵と名付けられ、武者修行の旅に出る武蔵。
「剣を持ち、この身この心を極めん」。

吉岡道場へ2度めの道場破り
「あれから1年。出会う者たち全てを師と仰ぎ鍛錬してきもした」。

これらの台詞が、珠城りょうにとっても似合う。

沢庵和尚や日観坊主、そして小次郎に未熟者の証のように言われる「過剰な殺気」を撒き散らす武蔵。

珠城りょうの「殺気」は、戦っても戦っても満たされぬ、自らの力不足に募る苛立ち。外より内に向い、内から外に漏れる、己に向かう峻厳さ。

新人公演での風間柚乃の「殺気」は、ガツガツした飢えにも似た「殺気」。底が深いゆえに溜めても溜めても埋まらぬ力。外に放出される荒々しい熱望。

武蔵が、年少の壬生源次郎を含む70数名を斬り殺してしまうのは、戦国時代の末期ゆえか。

武蔵は言う。「兵法は戦だ、大将を討たれた軍はその秩序を失う、子どもであれど名義人」。

キリシタンである小次郎が源次郎を殺したことで武蔵に非難の目を向けるのと対照的である。

個人的に思ったことは、最後の小次郎と宮本武蔵(珠城りょう)の巌流島の対決を最大の山場にしたほうが良かったんじゃないかということ。

本作における武蔵の最後の戦いである、巌流島の対決は、「天下無双」への憧れと執着が強い武蔵が数多の戦いを経て、剣の強さというだけではなく知略を持って戦う兵法家にたどり着く。そうしなければ佐々木小次郎に勝つことはできなかったという意味で、小次郎は武蔵が長い歳月をかけて目指す頂上だったわけですが、その流れがストレートに伝わってこない。

黒い烏が飛び交って死肉を喰らう吉岡一門70数名との戦いのほうが、佐々木小次郎との1対1の戦いより熾烈に見え、吉岡一門との戦いの以後がしりすぼみに感じられる。

武蔵と小次郎が迫真の立ち回りで、銀橋で切り結ぶのも絵になってカッコいいので、もう少し長めに尺をとっても良いのでは!

湧き上がる情感や余韻というのは、空白時間も必要なのです。

『夢現無双』で何が良かったかって、荒くれ小僧から峻厳な剣士に変わっていくたまき武蔵とか、銀橋で歌う麗しの剣士美弥るりか小次郎とか、又八を骨太に楽しそうに演じている月城かなととか、色気が出てきた暁千星清十郎とか、お披露目おめでとうしっとりお通をがんばれさくさく(美園さくら)とか、海ちゃん(海乃美月)の美しい吉野太夫が「おねがい」という発音が好きとか、ひびきち(響 れおな)の柳生石舟斎宗厳は隠し持っている凄みですねとか、ゆりやくん(紫門 ゆりや)の無二斉雰囲気あるなとか、からんちゃん(千海華蘭)の本阿弥光悦は物腰柔らかいけれどやっぱ求道者なんやなぁとか、なっちゃん、さちかさま、ときちゃん、まゆぽん、るねくんとか、その下の人たちも伸びてきたよね。日韓さんが誰かと思ったら周旺真広くんですようまいしょっちゅう年配者をやっている印象が‥という。月組芝居堪能。それはそれで満足でしたけれどね。

香咲蘭ちゃんの武蔵(少年時代)や結愛かれんちゃんの男の子(城太郎)は「娘役」という枠を外した演技が良かったです。

恋愛要素が少ないとも言われていますが、サイトー先生の芝居では『桜華に舞え』も恋愛要素が少なくてね!(多分、サイトー先生の感覚では十分に恋愛している武蔵とお通)。それでも桐野利秋と利秋を敬愛する大谷吹優の間にあった情感は、北翔海莉と妃海風のみちふう退団コンビだから出せたものなんだろうか。『桜華』はめっちゃ好きなんですよ。

(あらすじ)

まだ若い佐々木小次郎(美弥るりか)と武蔵の父である新免無二斎(紫門ゆりや)の一騎打ちで幕を開ける。小次郎の剣に敗れる無二斎。

場面が切り替わり、そこは作州宮本村(美作国吉野郷宮本村:現在の岡山県英田郡大原町宮本)。

近郷きっての悪童・新免武蔵(しんめんたけぞう:珠城りょう)と幼馴染の本位田又八(ほんいでんまたはち:月城かなと)は武士に憧れ、チャンバラごっこに明け暮れ、又八の母お杉(夏月都)や沢庵和尚(光月るう)に怒られる毎日武蔵は姉のお吟(楓ゆき)と暮らす。又八にはお杉が決めた許嫁のお通(美園さくら)がいる。

半農半武士の郷士の出身である武蔵と又八は、士分(侍)を夢見て、関ヶ原の戦いに参加する。太閤・豊臣秀吉のもとに戦国の世が収束に向かい、下剋上や戦による論功行賞が見込みにくくなりつつある趨勢に関ヶ原の合戦である。勢い込んで戦に加わった2人だが、豊臣方は敗北し、敗残兵となる。

逃げる武蔵と又八は、お甲(白雪さち花)とその養女の朱実(叶羽時)に助けられるが、野武士に襲われ、又八は懇ろになったお甲と逃げてしまう。

武蔵は又八から許嫁のお通(美園さくら)に宛てた手紙を懐に宮本村に帰るが、お尋ね者扱いで沢庵和尚(光月るう)に千年杉に吊るされる。お通に助けられて逃げ出すが、沢庵和尚に再び捕縛され、一喝を食らい、宮本武蔵と名付けられて武者修行の旅に出るのだった。

そして四年の月日が経つ‥。吉岡道場の当主清十郎(暁千星)に手合わせを願う宮本武蔵。しかし清十郎に叩きのめされて、廓扇の裏庭に逃げ込み倒れているところを吉野太夫(海乃美月)たちに助けられる。

「男はんの勝負はいつまでも子どもみたいやな」と笑う吉野大夫(いい女)。

武蔵は、大和路宝蔵院へ向かう途中の町で小次郎とすれ違う。お互いの強さを瞬時にして見極める2人。小次郎もまた天下無双に己の道を見出し、備前長船長光を携えて武者修行の道中である。小次郎は武蔵の父である無二斎に勝利した剣士であることを、この時の武蔵は知る由もなかった。