[movie]『グリーンブック』

ここのところ、映画をよく見ています。『メリー・ポピンズ リターンズ』『ボヘミアン・ラプソディ』『映画 刀剣乱舞』『万引き家族』『半世界』『グリーンブック』と1か月半くらいの間に6本くらい見ました。舞台漬けでしたが、映画もいいですね。

『グリーンブック』は実話をもとに制作された映画で、第91回アカデミー作品賞(ミュージカル・コメディ)、脚本賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)受賞作。

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1962年、ニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を務めるイタリア系アメリカ人のトニー(ヴィゴ・モーテンセン)は、軍隊経験があり、腕っぷし自慢でハッタリ上手。本名はトニー・バレロンガだが、トニー・“リップ”(=デタラメ)のほうが通りがいい。ケチな詐欺や万引きくらいはお手の物、ブロンクス生まれのブロンクス育ちのトニーは、妻のドロレス(リンダ・カーデリーニ)と子どもたち、それにイタリア系の親戚に囲まれた大所帯生活の大黒柱である。

クラブ・コパカバーナが改装工事で休店するためトニーは当面の仕事を探して、カーネギー・ホールの上階に住むドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の面接を受ける。「ドクター」と呼称から相手は医師だと勘違いしていたトニーの前に現れたのは、豪奢な部屋に1人で住む黒人ピアニストだった。彼、ドクター・ドン・シャーリーは南部演奏ツアーの専属運転手を探していた。「ドクター」は彼が音楽・心理学・典礼芸術の3つの分野で博士号を持つことから来ていたのだった。

面接でドクター・シャーリーは「黒人に偏見は?」と聞く。
トニーはないと答えるが、それは嘘だった。

米国では南北戦争後の1895年に黒人奴隷制が廃止されたが、南部では黒人を社会的弱者として維持するために黒人取締法やジム・クロウ法(黒人隔離法)が制定されていった。この映画の時代背景はジム・クロウ法が廃止された1964年の2年前であり、南部には白人と黒人の結婚の禁止、夜間の黒人外出禁止、白人と黒人は同じ場所で食事をしてはならないなどの明確な差別が法律の名のもとに存在していた。

その南部、中でもディープサウスと呼ばれる黒人への差別意識の強い地域にドナルド(ドン)が演奏旅行に行く意味をトニーはよく理解できなかった。トニーは自宅に来た黒人作業員が使ったコップをゴミ箱に捨ててしまう程度に、黒人に差別意識は持っていた。運転手の仕事を一旦は断ったトニーに、ドンは高額の報酬を提示し、妻ドロレスに電話をかけて説得する。

結局、ツアー運転手を引き受けたトニーはレコード会社から前金を渡され、全日程をスケジュール通りこなし、演奏会が時間厳守で完了すれば残りの報酬を支払うと告げられる。そして南部で黒人が宿泊できるホテルやレストランを掲載したガイドブック「グリーンブック」を持たされ、運転手兼用心棒としてドンのために働きだしたのだった。

【原題】Green Book
【製作・脚本・監督】ピーター・ファレリー
【製作・脚本】ニック・バレロンガ
【キャスト】ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリニ、ディミテル・D・マリノフ、マイク・ハットン、P・J・バーン
【音楽】トム・ウルフ
【音楽編集・音楽監修】マニッシュ・ラヴァル

米国での人種差別問題は根深いので、映画で描いてアカデミー賞作品賞とか取ると、異論が噴出するんだな。

BBCニュース – 「グリーンブック」の作品賞受賞に異論噴出 米アカデミー賞 

米ニュースサイト「ヴォックス」の批評家、トッド・ヴァンデアワーフは、「体制的人種差別の押しつぶされそうな重みに、自分たちにどういう責任があるのか。その問いに対してこの映画は、白人のせいではないと、自分たちを許してしまっている」と書いた。

この映画で描かれている差別は、完全に「白人のせい」だったんだけれど、違う映画を見たのか、私。

それはともかく映画には素直に感動しました。実話を元に作られた映画だけれど、白人トニーと黒人ドンの経歴や生活環境の対比に始まり、「無学な白人」と「教養ある黒人」という描き方によるサジェスチョンの見事さ。

黒人に差別意識を持っていたトニーがドンの演奏に感動して敬意を払うようになり、差別に怒りを見せるようになっていくステップが丁寧に描かれ、またドンががさつで無骨なトニーに万引きはよくない、暴力はだめと諭しながら、その心意気を信頼するようになり、運転手からマネージャーへと扱いを変えていくプロセスも見える。

そして妻ドロレスに手紙を書くトニーにロマンティックな文言をアドバイスするドンという関係性への変化。その変化を観客に読み取らせ、納得させる、俳優達の演技も素晴らしい。

脚本をトニーの息子のニック・バレロンガが担当しており、本人たちのインタビューや残された手紙からエピソードを抽出しているらしいが、ストーリーは130分の映画として齟齬なくまとまっている。そのために現実はそんなにうまくいかないし、きれいに終わらない!差別は今もあるという批評は当然あるだろう。だが人種差別とはこのような歴史があり、このような行為を指すと具現化することはとても重要だと思う。米国以外の国、日本でもその内容は通用する。

トニーとドンの会話の多くは車中で行われるロードムービーでもあるので、アメリカの広大さと農地の多さを知ることもできる。

1962年の南部では黒人差別はいたるところにある。

ドンが夜、宿泊先で一人で飲みに出かけ、バーにいた白人たちに袋叩きにあって、トニーが駆けつける。映画の中では語られなかったが、白人専用のバーなのだろう。「夜に一人で外出するな」と怒るトニーにドンは答えない。

夜間にトニーの運転する車で移動しているところをパトカーに乗った警官に呼び止められ、夜間外出禁止のはずの黒人が乗っているということで職質される。そしてドンを「ニガー(黒人の蔑称:黒んぼ)」と言った警官をトニーが殴り倒して二人共留置場行き。

こういう白人が黒人相手に日常的に行っている差別のほかに、ドンの演奏会を主催する白人達による差別もあった。

ドンが主賓として招かれた豪邸でのディナーのメインディッシュは山盛りのフライドチキンだった。茹でたトウモロコシが添えられている。それを見たドンは、トニーにすがるような目をむけるが、トニーは平然と「食えよ、うまいぜ」という顔でドンに目配せをする。フライドチキンは食べないというドンにケンタッキー・フライドチキンのうまさを教えたのはトニーなのである。

トニーもフライドチキンが黒人奴隷の伝統料理(ソウルフード)だったことは知っているのだろうが、美味しい食べ物に罪はない。フライドチキンを差別の料理として食卓に乗せるほうが罪なのだ。→「元々はソウルフード?」 米フライドチキンの由来 

最後の演奏会場となるバーミンガムのホテルに到着する。開演時間までまだ間がある。ドンに与えられた控室は狭い物置で、むっとするトニーを抑えてドンは着替えに入る。レストランで腹ごしらえをするトニーのところにドンとトリオを組むチェロのオレグとベースのジョージがやってくる。

ドンは物置で着替えている。よく耐えているよと言うトニーに、オレグは数年前にナット・キング・コールがバーミンガムで黒人として初めてコンサートを開いたが、演奏が始まると白人たちに舞台から引きずり降ろされ、暴力を振るわれたと説明した。ひどいなと絶句するトニーにオレグは「天才なだけでは不十分で、人の心を変えられるのは勇気だ」と話す。

タキシードに着替えてレストランに来たドンが、3人が座っているテーブルに行こうとして支配人に止められる。黒人がこのレストランで食事することは出来ないという。たとえ演奏会の主賓であろうと。

楽屋に食事を運ぶ、他の店を紹介するという提案を無視して、ドンはこの店で食事ができないのなら演奏は中止するという。困り果てた支配人はトニーと話をつけようとするが、怒ったトニーは支配人を壁に押し付ける。

結局、演奏を中止して2人は連れ立ってレストランを出て行き、最後の演奏会の契約はキャンセルになる。体制を利用して人種差別を行う白人たちに二人はNOを突きつけた。

ここからどうなるのかなと思ったら、ハッピーエンドに向かって進んでいく、気持ちのいい映画でした。おすすめ。

トニーは大食漢で食べ物を食べている場面が多く、ドンはそんなにものを食べない。ところがトニーがバケツでケンタッキー・フライドチキンを買って来て運転しながらむしゃむしゃ食べ、「黒人の食べ物」を嫌がるドンに食べるように勧める。この場面は黒人であるドンの屈託と几帳面な性格が出て、とても印象に残る。

日本や世界の被差別地域に特徴的な食べ物を取材した2冊はおすすめです。Kindle版もある。

  • 『被差別の食卓』(新潮新書, 2005/6/16, 上原 善広)Amazon
  • 『被差別のグルメ』(新潮新書, 2015/10/16, 上原 善広) Amazon