夢か現(うつつ)か幻か、という義経妖狐夢幻桜。千秋楽映像を見て記憶が繋がってきた。
- 桜吹雪の下に立つヨシツネ装束のあーさ(朝美絢)。
- 白い地に赤いラインが入った着物にキツネのツネ扮装のりさちゃん(星南のぞみ)。
- ヨリトモ装束(黒地に金や赤で龍が刺繍された長いマント)の髭のひとこさん(永久輝せあ)。
それに雪組の芸達者二人、ベンケイ役のまなはる(真那春人)とエイサイ役のあすくん(久城あす)。雪組の歌姫、トキワ役のヒメ(舞咲りん)。強力助っ人の専科じゅんこさん(英真なおき)と組長のみとさん(梨花ますみ)が率いる雪組子。みんな毎回アドリブを変えたり、芝居を変えたりして工夫を凝らしていたそうで、良いカンパニーで良い公演でした。あーさ、おめでとう(2度目)。
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★盛大にネタバレしています★
歌舞伎の義経千本桜は観ていないけれど、満開の桜の下というと、『桜の樹の下には』(梶井基次郎)や『桜の森の満開の下』(坂口安吾)の名作短編2本。
満開の桜には、美しさと共に凄惨な幻想がつきまとう。
壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、シズカ(希良々うみ)との別れを経験し、ヨシツネは過去の記憶に苦しみ、平和な世を願い、世界の果てに辿り着くことを夢見る。対して、ヨリトモは犠牲を出し、それを踏みしだいても、新しい国づくりに向かっていく姿勢を崩さない。迷い悩むものと揺るがぬもの。旅立つものと留まるもの。夢とうつつ。
キツネのツネはヨシツネに言う。「悩んでいるほうが好きだな。人間らしくて」。
ツネはヨシツネに世界の果てに連れて行ってと願い、無限の安息があるというムラにヨシツネとベンケイを誘い込む。シズカに助けられ、育ててもらったツネは、ヨシツネに生きていて欲しいと願っていた。
彼らに遅れて、ヨリトモとマサコ(野々花 ひまり)、部下3人カゲトキ(橘幸)、ヒロモト(諏訪さき)、ヨシモリ(陽向春輝)も雪の中を歩き回り、ムラにたどり着く。そこでは同じ場所にいる人間が互いの姿が見えない、という奇妙な現象が起きていた。
ムラではエイサイが、トモモリ(叶ゆうり)やヤスヒラ(縣千)を使って、自らの信じる国づくりの実験を行っていた。大陸から持ち帰ったケシを使って。
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1回しか観ていないので記憶違いもあるかと思うけれど、プログラムのあらすじに「おとぎ話」と銘打ってあり、歴史的背景や登場人物は実在に名を借りた創作なので、観る側は世界観を自分で構築をすることになります。それで登場人物達の先行きが不透明で、「記憶が消せる」、「互いの姿が見えない」とか謎めいたエピソードが挿入され、魔法が使えるファンタジー世界かと思ったりもする。2幕に至ってもこの世界のお約束が読めなくて、雪の山中を彷徨う気分でした。
でまぁ、赤いケシの花が出てきた時に、なぁーんだと思ったわけですが、全て阿片のせいで片付けていいのか、いまいち微妙で、「僧侶の修行をしていたら阿片に耐性ができる」というのも謎で、おとぎ話だし、そういうスーパー阿片なのか?という化かされっぷり。ムラは異世界的な存在かと思ったら、いっちゃったエイサイの作った歪んだユートピアだったというオチで、完全に現実の落とし子だったので、多分、阿片も普通の阿片なんだと思いますが(判らない)。
本筋は、ヨシツネとヨリトモ兄弟の骨肉の争いの話で、その対峙の場を夢幻の安息のムラに持ってきて、そのムラで暗躍するエイサイが、兄弟の間に割って入ろうとしたら、ヨリトモに邪魔だどけっ‼とばかりに、ムラに火をかけられ、ヨシツネにも相手にされずエイサイはベンケイに倒される、とかいう。あすくんが上手くてエイサイという歪んだ存在がきちんと成り立っていました。
ツネは世界の果てに連れて行ってと願いつつ、なぜ果てが無いムラにヨシツネとヨリトモを誘い込んだのか。ムラはツネにとってどういう存在?もはや記憶が曖昧で良く判ってない。スカステの放送を待つ。
ストーリーそのものがファンタジックでギミックに満ちているのは前作と変わらないんですが、中核のヨシツネとヨリトモの関係性がしっかりした芝居になっていたので、物語に一本筋が通って、面白く観れました(前回も親子愛に感じるものはありました)。ただ、大劇場向けにはもう少し論旨が判りやすいほうが望ましいのではではと思ったり。
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あーさ(朝美絢)のヨシツネは、数多の犠牲から逃げるために世界の果てに行きたいと思っているわけではなく、これ以上の犠牲を増やさないために、世界の果てに辿り着けば、何かが世界が変わる変えられると信じている、真摯に犠牲と向き合い、夢を誇らかに抱くヨシツネでした。そういうところから、義経=チンギスハン説をモチーフにしている感が伝わってきた。あーさの中にも、ひとつの大きな山を越えて揺るぎないものが出来たんでしょう。フィナーレでの桜吹雪の下の笑顔がね、明るかったのが何よりです。
りさちゃん(星南のぞみ)は健気で熱意がある不思議なお芝居をするひとです。技術的にはあまり高くないのかもしれないけれど、『琥珀色の雨にぬれて』のフランソワーズもツネも気高く健気でした。謎めいているけれど、人間的な欲や邪心がない存在としてのキツネ感(精霊?)があり、ヨシツネ達を巻き込んで物語を動かした、ファンタジックなヒロイン。着物姿もすてきでした。シズカとの関係は日本昔話か。キツネの恩返し。
ひとこ氏(永久輝せあ)は、ヨリトモとして言わなきゃいけないセリフをいっぱい言っていて、言葉に詰まるセリフもあったと思いますが、微塵もそれを出さず、どこかへなへなしているけれど、覚悟を持ち決断するヨリトモでした。ひとこ氏で印象に残っている役は、『ドン・ジュアン』のラファエルだったんですが、これについて、ひとこ氏は『ひかりふる路』の座談会(歌劇2017年11月号)で、「苦い苦い苦い思い出」「でもそうやってすごく苦しんだからこそ、自分にとってかけがえのないものになりました」と語っていて、今回はどれくらいの苦さだったのは判りませんが、ヨリトモもかけがえのない役の一つになっていれば良いなと思いました。
これは私の印象ではあるんですが、新人公演で本役の写し絵を理想とし、目標とすると、いかに本役の演技を精密に綺麗に、精神面まで模写するかということになりかねない。だけれどキャストが違えば見え方が違うというのは、性格や物の考え方、技術や経験、顔や身体の造作、感情の表し方等がキャストにより変化するからですね。だから本役を到達目標においてしまうと、いくら努力しても自分にわだかまりが出来るし、それはね、結構お芝居に出ると思うんです。『ひかりふる路』のデムーランは存在感はあったけれど、届くものがなかった。『幕末太陽傳』では新公より、咲ちゃん(彩風咲奈)の代役(*)で演じた徳三郎が良かったです。技術力は高いひとこ氏なので、新公も卒業したし、自分の感性で役をどんどん表現していってくれるといいですね。
野々花ひまりちゃんのマサコは良い造形でした。こういう度胸があって腕っ節の強い女性を娘役が演じてくれるのが嬉しいです。あなたが道を違えたときは、私が命をかけて正します的な女丈夫で、現実を見るヨリトモの側で叱咤激励し、いざとなると自分も馬に乗って弓を射る。憧れのヒロインの一つの形で、ヨシツネに添うシズカ+ツネ、ヨリトモとマサコというどちらにも正当性を持たせた、対比的な組み合わせが効果的でした。
ヤスヒラの縣千くんはまだまだこれからかな、という気がしました。
キャラクターがね、面白くて、谷貴矢先生はあれこれ考えて楽しんで作っているんでしょう。次回作が楽しみです(2回目)。
(*)ちなみに新公の徳三郎(諏訪さき)(**)も見ましたが、抜群に上手いと思ったのはやはり咲ちゃんでした。ドン・カルロや山南さんも良かった。咲ちゃんは2番手なので、これから主演に対抗する役もあると思います。だいもん(望海風斗)の熱量を相手にするのは大変なこともあるかもしれませんが、がんばって頂きたく。
(**)叶ゆうり、諏訪さきといった男っぽい男役は貴重だと思うので、活躍していってほしいです。