花組公演、『MESSIAH(メサイア) −異聞・天草四郎−』『BEAUTIFUL GARDEN −百花繚乱−』千秋楽おめでとうございます。
MY楽は前楽19日(日)15時公演でしたが、花組とヒロさんの熱演にやられたって感じのお芝居と花組の百花繚乱ぶりが楽しいショーでした。お疲れ様でした。東京公演までしばしの休養を。
たそ(天真みちる様)、かほちゃん(新菜かほ様)、しおんくん(桜舞しおん様)。変わってないよと思っていても、変わった部分を大切にしてください。これからの糧にきっとなります。ご卒業おめでとうございます。
亜蓮冬馬くんの休演が延びて、東京公演も全休になったようですが、落ち着いて怪我を治して貰えるといいなと思います。療養期間中にも出来ることはあるはずなので、充電できますように。お大事に。代役の皆様、がんばってくださいませ。
19日(日)15時公演が開演して15分くらいで2階で揺れを感じ、少し驚いたのですが、舞台では流れ着いた夜叉王丸と小左衛門殿がお芝居を続けているので、揺れが続けばアナウンスがあるだろうと思って観劇していましたが、キャストの皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。何事もなくて良かったです。(かいちゃんや琴ちゃん、音咲いつきちゃんもご観劇だった)。
震度1だったのに、震源が浅いためか体感できたっていうほうがすごいかも。
地震情報 – 2018年8月19日 15時13分頃発生 最大震度:1 震源地:兵庫県南東部 – 日本気象協会
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百姓は生かさず殺さず
島原で、松倉勝家(鳳月杏)が、踏み絵を踏めなかった助蔵(峰果とわ)に水磔(すいたく・水中でのはりつけ)を命じると、妻のつる(花野じゅりあ)が飛び出して身代わりになると申し出て、勝家がつるを川へ入れろ、助蔵と娘のくめ(糸月雪羽)には”切支丹”という文字の焼きごてを当てろと命じる場面を見ながら、「百姓は生かさず殺さず」という言葉を思い出していました。(じゅりあ様の農民は色っぽくて、あんな農民いないよとか思うんですが、勝家の好みではないらしい。ヒドイyo_| ̄|○)。
「百姓は生かさず殺さず」。誰が言ったんだっけと出典を調べてみたら、徳川家康の事績を書いた『落穂集』にあり、徳川家康か、その側近だった本多正信の言葉らしいです。「上意」「東照宮上意」とあるから、東照大権現・家康公の意向ではあるのでしょう。
郷村之百姓共をハ死様生様ニ と合点して収納申付様ニとの上意
=郷村の百姓達は生かさず殺さずと理解して納税(年貢)を申し付けるようにと
(『落穂集』19秋ニ至り収納之事)百姓は飢寒に困窮せぬ程に養ふべし、豊かなるに過れば、農事を厭ひ、業を易ふる者多し、困窮すれば離散す、東照宮上意に、郷村の百姓共は死なぬ様に生きぬ様にと合点致し、収納申し付くる様にとの上意は、毎年御代官衆、支配所へ御暇賜る節仰出されしと云へり」(『昇平夜話』「年貢収納の原則」)
これは、”百姓は死なないように(殺さないように)、生きないように(豊かにしないように)、年貢を納めさせること”、という意味らしく、戦国時代から見れば、家康のこの方針は恩情あるものだったとされています。
それなのに、働き手の百姓をいとも容易く殺してしまう、松倉勝家とその家臣どもなんですが、でも家老の田中宗甫(天真みちる)と多賀主水(冴月瑠那)は勝家の父親の重政の代からの家臣で、キリシタンへの苛烈な弾圧や壮大な島原城の築城、石高を4万石から10万石に増やしたのは、重政の時代なんですよね。
(訂正8/24)重政は、7年あまりかかって10万石級の壮大な城を建造し、自ら進んで石高を超える負担を申し出、考えられる限りの手段を尽くして、過酷な税を行ったとされる。
ゆえに、本作では松倉勝家(鳳月杏)が、父親の松倉重政と登場しない唐津藩の寺沢広高・堅高親子の悪行まで背負っていてずいぶんと大悪人になっていますが、鳳月杏の演じる勝家が突き抜けて愚劣で狡猾でカッコいいから、それだけ背負っていても許される(褒めてます)。
神の子・天草四郎時貞
だから、勝家が天草四郎時貞(明日海りお)に成敗されるのも有りだった、と思う。
文献によると一揆軍の要求としてキリシタン信仰を認めることの他には、松倉勝家の処刑というのがあったという。松倉家が島原を管轄する前は、キリシタン大名の有馬晴信が島原一帯の藩主で、その時代にはキリシタンは保護され、仏教から改宗した者は優遇され(仏教徒は迫害されている)、領内には数万人のキリシタンが存在していた。その時代が、彼らのいう”はらいそ(天国)”だったのかもしれない。
勝家がつるを川へ入れろ、助蔵と娘のくめには”切支丹”という文字の焼きごてを当てろと命じた際に、流雨(仙名彩世)の兄である浪人・松島源之丞(和海しょう)は思わず勝家に異議を唱え、勝家に「前の藩主・有馬どのの子飼いか」と覚られ、「まさか、そなたもキリシタンではなかろうな」と詮議される。
勝家は領内の経緯を十分に承知しており、島原の民達は棄教したわけではなく、隠れキリシタンではないかという疑念を持っているのだ。百姓達への苛政はその疑念もあるゆえに、やりたい放題になっているとも考えられる。百姓は死なないように、だがキリシタンは殺しても良いと、ご公儀が認めているのである。
島原の民達は長く続く圧政(時間の経過の軽視が原田作品の特徴)に、島原の民達は疲れ果て、意気を挫かれている。
島原の原城に四郎達一揆軍が到着した際に、源之丞は「我々島原の民達だけでは立ち上がることが出来なかった。あなたのおかげだ」と言い、幕府軍が到着し、投降を勧める矢文が届いた時は、「奴らは我々を皆殺しにするつもりだ」と不信を叫ぶ。
彼らは、弾圧によって立ち上がれないほどに追い込まれ、激しい恐怖をその身に叩き込まれているのである。
明日海りおの四郎は、勝家への怒りはあっても恨みはない。まっすぐで明るく、慈しむことを教えてくれた人々と共に生きることを願っている。だからこそ、天草四郎時貞は、海の彼方から来た異邦人、MESSIAHとして、神の子として、松倉勝家の首を取るべきだった。
それが四郎のいう「内なる神」に叶うことであり、異聞・天草四郎による天誅だったのでは。千秋楽後につらつらと思い返して、そう思えてならない。
松平信綱(水美舞斗)は、リノ(柚香光)が勝家の虐殺や苛政を訴えると、同情の色を見せる。だがキリシタンの弾圧は徳川家光自身が率先して行っている。信綱の頂く神は大権現・家康公だ。彼に憐れみをかけられても、所詮、「百姓は生かさず殺さず」なのである。
彼らの生き様を見ることとは、彼らの内なる神と在ることではなかったのか。殲滅された3万7千人のキリシタンが、「はらいそ」で寛いでいるのを見ても、私には浄化されるものが何もなかった。
それにさ、手持ちの『鑑賞のためのキリスト教美術事典』(視覚デザイン研究所)とか探しても、あんな黄金のキンキラキンのお衣装を着ているキリストやマリアを見つけることができず、なんだか良いのかな。ハライソは金色でいいけれど(私はクリスチャンではありませんが)。
という辺りで終わらなかった。書き残しがあるので続く。
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花組 宝塚大劇場・東京宝塚劇場公演 休演者のお知らせ
全日程休演
(花組)亜蓮 冬馬
※怪我のため休演いたします。
※9月20日(木)の東京宝塚劇場新人公演も休演いたします。
※宝塚大劇場公演は7月19日(木)11時公演より休演。
■代役
多聞丸・・・一之瀬 航季
田崎重吉・・・南音 あきら
■新人公演代役
渡辺小左衛門・・・泉 まいら
多賀主水・・・南音 あきら
芦塚忠右衛門・・・理央 ひかる