[movie] ふがいない僕は空を見た

シネ・リーブル神戸のレイトショーで観てきた。原作の『ふがいない僕は空を見た』(窪美澄 新潮社)は、R-18文学賞大賞および2011年山本周五郎賞の各賞を受賞し、2011年本屋大賞2位および本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10第1位となっている。原作も鑑賞後に読み終えたのだが、今回は映画の感想のみに留めておく。

起承転結がきれいについているドラマではなく、日常の出来事を切り取って2時間半の枠に収めた、というシロモノで、セリフや説明がぎりぎりまで省略され、観客側に解釈を委ねる形になっている。そのため、結末がどこに着地するか想像がつかず、2時間半の間、集中し続けて、タカラヅカ公演を3回見るより、エネルギーを消耗した。あと内容について予備知識を持たずに観に行ったので、時系列が判らなくなったり、人物を間違えて途中混乱したりしたのもあるかな。

中身にあまり言及するとネタばれになるので、印象に残ったことだけを書き留めておく。 “[movie] ふがいない僕は空を見た” の続きを読む

[book] 小川洋子『博士の愛した数式』

本屋大賞第1回受賞作品。文庫落ちしたので、読んでみました。

  過去の交通事故が原因で、記憶が80分しかもたない数学者である「博士」と博士の身の回りの世話のために家政婦紹介組合から派遣された「私」、そして「私」の息子である「ルート(√)」が織りなす細やかな交流の物語。2006年お正月映画(公式サイト

 ストーリーも登場人物も複雑ではない。途中で私はこんなんで最後まで物語がもつのかと思ったくらいだ。しかし、読んでいてとても心地よい。なぜだろうか、と考えてみると、下世話なところや嫌みなところが少しもないのだ。現実離れと思われないぎりぎりラインで、浮世離れした心地よい空間を作りだしている巧みさ。また、博士が数学者であるという設定を十二分に活かし、数式の説明を織り込むことで、不可思議で荘厳な雰囲気を醸し出すことに成功している。非常に巧みだと思う。
 また、この小説には、「過去」への拘泥がない。過去について触れられているのは博士の事故のことと「私」がシングルマザーになった理由だけで、最小限にとどめられている。
 「私」は、シングルマザーでルートを生み育てている。普通の人なら、何らかの突っ込みや探りを入れずにはいられないところだ。ところが、博士は、「私」の「過去」のことなど何の詮索もしない。博士は、子どもだというだけで、ルートに無条件の愛情を降り注いでくれる。
 それゆえに、「私」と「ルート」が博士に抱く感情は、感謝の念であり、愛情であり、友情である。

 家政婦協会への依頼主である母屋の未亡人(博士の義理の姉)の怒りを買った「私」は、いったん博士の家政婦を解雇される。ほかの派遣先に出向いた「私」にとって、博士はもはや単なるお仕事の相手ではなく、友人として見過ごせない存在となっていた。博士が80分たてば、自分のことを忘れてしまうことなど関係ない。「私」にとって、重要なのは、自分の大事な友人が困っていないかということだけだ。大事なのは、過去ではない。自分たちが生きている現在と未来なのだ。
 博士には過去の記憶しかなく、思わせぶりな過去の写真さえ出しておきながら、過去が描かれないので、登場人物達が現在と未来に向いて生きることが、くっきりと浮き上がる。

 人の存在の意味、愛情と友情、生きている喜び。読後に暖かな想いがわき上がってくる。