東浩紀を発起人とする<福島第一原発観光地化計画>の先駆けとして実施された「福島からチェルノブイリへ! 津田+開沼+東が観光地化復興の実態を探るプロジェクト」における成果を書籍化したもの。 本プロジェクトは、クラウドファンディング[CAMPFIRE]を利用して行われた。写真がふんだんに掲載されたムック本(A4型)で、思想地図β vol.4-1として刊行され、近日刊行予定のvol.4-2「福島第一原発観光化計画」と対になっているという。ただいま絶賛、おすすめの一冊です。【株式会社ゲンロン直販サイト】
福島県を、「フクシマ」とカタカナやカッコ付きカタカタで言うことに抵抗がある。
「フクシマ」とカタカナで表記することは、東日本大震災に伴う福島県での“あの”福島第一原子力発電事故を、歴史化し、モニュメント化してしまうように思えてしまうからだ。モニュメント【monument】とは、”記念碑”であり、”遺跡”である。本書の帯には『もうひとつの「フクシマ」』という言葉あり、「福島からチェルノブイリへ!プロジェクト」に賛同して少額のカンパを行った私でさえ、帯を見て、手に取るのをためらった。
まだ私の中で、「福島第一原子力発電所事故」は”歴史”になっていない。まだ、“あの”福島第一原発事故を、東日本大震災による痛手を、過去にしてしまうのは早いという想いが沸き上がった。関西に住み、震災や事故に直接的な影響を受けていない私でさえこうなのだから、東北の人たち=当事者は、本書をどう思っているのだろう、と気になった。
だが、「福島からチェルノブイリへ!プロジェクト」に賛同した以上、本書を読む義務があると思い、ページを開いた。プロジェクトの主催者であり本書の編者である東浩紀のはじめの言葉に、衝撃を受けた。
(承前)チェルノブイリの実態の報告は、10年後、20年後の福島第一原発周辺地域の復興を構想するうえで、日本の読者にも大きなヒントを与えてくれるはずです。本書の取材は、そのような考えのもと企画されました。
チェルノブイリの観光地化にフクシマの未来を見る-本書は、そのような関心から構成された、あまり類例のない「チェルノブイリ本」になっていると思います。
フクシマの、そして日本の未来に関心のある、すべてのひとに手を取ってもらえれば幸いです。
つまり本書は、「現在」ではなく、10年、20年後先の日本の未来のために、次世代のために企画されたものなのだ。
1986年4月26日にウクライナ北部(当時はソビエト連邦共和国)のチェルノブイリで起きた原発事故から、27年が経過してる。現在のチェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナ政府に認可されたツアーに申し込めば観光ができるようになっているという。
本書の第一部は、東浩紀の手によって、プロジェクト・メンバーがツアーでたどった軌跡が事細かに報告され、新津保建秀らの美しい写真により、原発の最寄りの街プリピャチ、現在も稼働しているチェルノブイリ原子力発電所内部の状況と発電所を取り巻く環境、チェルノブイリ博物館、ニガヨモギの星公園などの様子が現されている。
チェルノブイリ博物館には、被災した子どもたちの写真が床や壁一面に貼られ(p.46)、デザイナーは「もう事故は起きないと安心して博物館を訪れる人々に、もういちど炉心のうえに立って考えてもらいたい」と話す。
第2部は、津田大介によるチェルノブイリ取材後の考えた日本の原発事故を巡る現状への論考「チェルノブイリで考える」を皮切りに、ウクライナでチェルノブイリにかかわる6人のキーパーソンへのインタビュー、取材メンバーによるルポ・読解が掲載されている。
キーパーソンへのインタビューの中では、アンナ・コロレーヴスカ氏(チェルノブイリ博物館副館長)のインタビュー(pp.94-97)が印象に残った。
(事故の責任は)わたしたちは広い意味でみな罪があります。すべてが連鎖している。若い世代への教育に力を入れているのはそれゆえです。危険なボタンを押すように言われて、それをやってはいけなけないことを認識しているのに「ノー」と言うだけの力を持たなかった。これからはそこで拒否する人間を育てなければならない。だれがボタンを押したのかではなく、なぜ彼はこのボタンを押してしまったのか、それを社会学者や哲学者の視点から考えなくてはいけない。
本プロジェクトの意図が腑に落ちた。「福島からチェルノブイリへ!」プロジェクトは、福島原発事故による無残な傷を、悲痛な痛みを、「”わたしたち”みなの責任」として引き受けるようとするものなのだ。
災害と事故による傷を他者に見せる=ダークツーリズム=福島第一原発観光化計画は、2年過ぎた今もなお、痛みに苦しむ東北・福島の人たちではなく、あくまでも「わたしたち」、つまり同じ日本という国に住みながら、あの災害と事故を「他人事」としか感じることができなかった「わたしたち」が考えるべきものである、と。
アンナ・コロレーヴスカ氏は言う。「”悲しみには際限があるが、憂慮には際限がない”。これがわたしたちの哲学です」。ウクライナでも、日本でも、苦悩は同じだ。だけど、生きている者は、生きていかねばならない。【福島のエートス】のように、”住民が自主性を持って、生活と環境の回復過程に関わって行く活動”はまだまだ必要とされており、”地域に密着した、現実的な放射線防護文化の構築はこれからの課題となっている。
それはプロジェクトメンバーも承知のうえであろう。2部では、福島県いわき市出身で福島大学に所属する社会学者・開沼博により、福島第一原発事故の歴史化=福島第一原発観光化計画、いわば”フクシマ・ダークツーリズム”についての検討がなされている(『チェルノブイリから「フクシマ」へ』pp.129-138)。
開沼によると、すでに福島県内において住民レベルでの「歴史化への意図」の萌芽が見えつつあるという。開沼は、「”萌芽”と共存し、取り入れることを想定しながら本プロジェクトを進めることで、チェルノブイリのような”意図せざる結果”を生み出していくことになるだろう」と予測する。
いまの福島では、【福島のエートス】のような原子力災害からの回復活動と歴史化の萌芽が同時に起きている。どちらにも、福島の住民(当事者)が関わることが、絶対に必要であると思う。研究者や公的機関などによる第三者(支援者)が主導した歴史化は、混乱の招き、傷を広げる(たとえば従軍慰安婦問題のように)。そして、“あの”事故を「歴史化」するには時期尚早という想いも消えない。私は、「わたしたち」は、東日本大震災後を、原発事故後をどう生きていくのか。それを突きつけられている。
次なるvol.4-2「福島第一原発観光化計画」の刊行を待ちたい。巻末のチェルノブイリに関わる参考資料も充実。おすすめの一冊です。
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