[Zuka] 2013年雪組『若き日の唄は忘れじ』(3)

超ネタばれです。【感想(1)】【感想(2)】を読んでから、(3)読んでください。(03/08一部削除・修正)

原作は文四郎視点で描かれていて、ふ くのセリフは少なく、その性格は、第三者が「少し内気に過ぎるようでしたけれども、気だてのよい子でした」と言うのと、文四郎がふくに「あなたさまは子ど ものころから一点大胆な気性を内に隠しておられた」というくらい。

ふ くの「一点大胆な気性」というのは、宝塚版では、義父の遺骸を運ぶ文四郎@壮一 帆を周囲が反 逆者と指弾する場面で、ふく@愛加あゆが文四郎に走りより、「私もおじ様にはお世話になりました」、「この坂はお一人では無理です」と、制止も聞かずに大八車を支え る場面に表されている。

このふく14歳時代の愛加あゆは、控えめだが、一点大胆なものを内に秘めた女性という演技はしっかりしていた。(このシーンも演出が効果的で、結構辛いシーンだった)。

それが第9幕江戸藩邸で、松の古木に絡みついてしだれ咲く藤を背景に、藤の花を持った腰元達が美しく舞い踊る中、ふくが藩主@香音有希に絡め取られ、そして藩主の愛妾おふね@舞咲りんに藤の枝で打ち据えられる。藩主の側室となることがふくの本意ではないことを、観る側は知っているがゆえに、衝撃的な場面となる

その後、ふくは、お福様と呼ばれる立場になり、藩主の子どもを産む。その子がお家騒動の中心となり、文四郎が救出に走るのが後半の山場である。

最後の第14場「蝉しぐれ」では、藩主が世を去り、髪を下ろして尼になる気持ちを固めたお福様が、その前に一目、文四郎に会いたいと手紙を送り、二人が再会する。宝塚版ではこの時、文四郎28歳、ふく26歳。

(雑学)原作ではこの時の二人は、40歳を越えた辺り。江戸時代の平均寿命※は、30数歳(【図録平均寿命の歴史的推移(日本と主要国)】)とされるが、新生児死亡率が高かったための計算上の数値で、成人した者の平均死亡年齢はだいたい60歳くらいらしい。

※平均寿命は、0歳での平均余命を指し、平均余命とは、ある年齢の人々が、現在の生活環境や科学・技術の水準が維持されるとすると、この後年生きられるかという期待値、つまり推計値のこと。設定条件が変われば平均余命も変わる。実際の平均生存期間=平均余命ではない。(参考)厚生労働省:主な年齢の平均余命

 違和感その2は、第14場「蝉しぐれ」である。

ふくは、文四郎と再会すると、御酒をどうぞと、杯を勧める。一息に飲んだ文四郎に対し、ふくは、「私も頂きます」と、一人で杯を三回に分けて飲む儀式、三三九度を始める。あの、もしもし?三三九度は、「婚礼時のおめでたい固めの盃」で、夫婦の始まりの儀式ですよ。

そして、文四郎が、一人娘に「ふく」という名前を付けたと告白する。いやあの、妻・せつ@ 夢華 あみは、ふくの存在を知らなくても、義母・登世@ 梨花 ますみは知っているので、その名付けには、反対したと思うのですが、登世はお亡くなりですか??アイドルタレントや二次元ゲーム少女の名前を子どもにつけるのとは次元が違いますよ?

幕は下りたけど、先行きは、どろどろの不倫劇の印象を受けてしまった。てっきり、「思い残すことばかりです」が、「若い頃に一緒に歌った歌は忘れません」、ありがとう、という話かと思っていた。

これは、役者ではなく、脚本・演出レベルだと思う。壮一帆と愛加あゆのプレお披露目公演を作り上げた「作者」が描きたかったこと・主軸にしたかったのはなんだったのか。最後の最後に情念にまみれてわからなくなった。

以上、終わり。