[book] 『情報病』

団塊世代の定義ははっきりしており、1947~1949年のベビーブームに生まれた世代のことを指す。

新人類は、1986年の流行語部門・金賞になった言葉だが、ネットで調べたところ定義ははっきりしていない。「1960年から1965年頃に生まれた世代」「1955年から1969年までに生まれた世代」「それまでの世代とは違った価値観等を持つ世代を指す」などとされており、最初は筑紫哲也(2008年に亡くなった)が使ったという。筑紫は「新しい価値観をもつ世代ということで」という文脈で使用したらしいが、一般的には特定の世代名称として使用され、今や死語とも書かれていた。

ロストジェネレーションは、朝日新聞が2007年の年始年末特集で、『バブル崩壊後の「失われた10年」に大人になった若者たち』(2007年時点で25~35歳:1972年から1982年生まれ)をこう名付けたらしい。就職氷河期世代の別名ともされている。

『情報病-なぜ若者は欲望を喪失したのか?』(三浦展、原田曜平)では、団塊世代は1947年~1949年生まれ、新人類世代は1965~1969年生まれ、ロストジェネレーション世代は、「団塊ジュニア」(1971年~1974年生まれ)を含む1971年~1982年生まれと定義し、第4世代をそれ以降の若者としている。

で、本書はその第4世代の若者:大学生2人(男1女1)に三浦氏と原田氏がインタビューするもの。わりと主観的な話が続く。

本書で面白かったのは、欧米諸国や中国では世代よりもどの地域に住んでいるか、どの言語か、どの民族かのほうが影響があり、日本ほど世代に拘っていないらしいということ。

あとは、「僕の周りではよしりん*は継がれていないですね。『スラムダンク』は継がれましたけど」という若者に三浦氏が驚愕して、うろたえまくるとことか。
*引用者注:「よしりん」は『戦争論』『ゴーマニズム宣言』などの著者である漫画家の小林よしのり氏のこと。

覚えているのはその2つくらい。大学生2人に三浦氏・原田氏が友人との交流関係や恋愛観、消費行動などについて根掘り葉掘り聞くのだが、どうも本書のテーマがよくみえず、だらだと続くので印象に残らない。

そしたら三浦氏のあとがきで判明した。

本書は「若者の欲望喪失」をテーマに据えてつくられた。若者が欲望を喪失するなんて不可解だという大人のためにである。

三浦氏はこう続ける。

不可解という意味では、バブル時代に高級ブランドを買いあさった新人類世代のほうがよほど不可解だったという気もする。が、大型消費をしてくれさえすれば企業にとって何でもよかったので、若者が不可解だと言われて非難されることはなかったのだ。

そして、現代の若者は、同調指向が強く、情報に敏感であり、「物を消費するのではなく、人間関係の消費に時間とお金を費やしている」と結論づける。

なんだろうなぁ。人間関係やコミュニケーションを啓蒙するたぐいのビジネス書は山ほど出ており、人間関係やコミュニケーションに気を遣い、お金と時間を費やしているのは大学生 (若者)より、社会人(大人)のほうと思う。大学生(若者)は社会や大学から、コミュニケーション能力は重要だとすり込まれているのではないか。そして 20代前半なんて景気の良さを実感した経験は乏しいだろうし、学生の身でほいほいブランド物買ってるほうがヘンじゃんとか思う(し、買っている若者は同世代より大人に非難されるだろう)。しかし、本書では、「物を買わない若者」=「不可解」=「非難の対象」という論法であり、三段論法が最初から成立している感がある。

インタビューという形式は自分の意見が固まっていない相手に行うと、インタビュアーによる誘導になりやすく、とても難しい手法だと思う。本書では2人しかサンプルがないし、立教大学と早稲田の学生だけで若者の代表とするにも無理がある。実際のところ、私にとっては「現代の若者」について何もわからなかったと言って良い。
三浦氏が最後に「僕なんてもう50なのに、いまだに若者の気持ちがわかる人間として取材が来るけど、わかるわけないよ」と書いているが、それが本音なのかも、と思う。

とにかく、謎な本である。

[book] 『絶対貧困』

インドは、『絶対貧困』(石井光太,光文社)とテクノロジーが混在する世界。

「絶対的貧困」と「相対的貧困」の概念が異なることは、『子どもの貧困』(阿部 彩,岩波新書)「子どもの貧困の定義」(pp.40-51.子どもの貧困の定義)に詳しいが、石井光太氏による本書は、絶対的貧困の「世界リアル貧困学講義」。インドのスラム街におけるスラムの分類、日常生活、職業から路上生活の実像、世界のどこへ行っても存在する職業「売春業」などなど自分の足で得た絶対的貧困の実情をリポートする。写真もふんだんにあるが、石井氏の書きぶりが淡々としており、視線が優しいので、読み切れるのだが、内容は実にすごい。

私がチェンナイという都市で取材した例をご紹介しましょう。
この町の犯罪組織は、インド各地から赤子を誘拐していました。そして子供が六歳になるまではレンタチャイルドとして物乞いたちに一日当たり数十円から数百円で貸し与えるのです。(略)。
やがて、彼らが小学生ぐらいの年齢に達します。すると組織は彼らに身体に障害を負わせて物乞いをさせるのです。そのパターンとしては次のようなものがあります。

  • 目をつぶす
  • 唇、耳、鼻を切り落とす
  • (略)

(略)。マフィアたちはナイフや剃刀でそれを切断するのです。指ぐらいでは効果がありません。顔でなければ喜捨につながるほどの悲惨なインパクトがないのです。
(第2部路上生活編.pp.212-213.)

こういう「絶対的貧困」のリポートを読んでおくと、「相対的貧困」の概念も理解がしやすくなる。以下の記事は、日本の「相対的貧困」。

世帯の15%「食料買えず」 貧困層の苦境浮き彫り
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が実施した2007年社会保障実態調査で、15・6%の世帯が過去1年間に経済的な理由で家族の食料を買えなかった経験があることが8日、分かった。
2010/01/08 16:51 【共同通信】

本当に「貧困学」が理論として必要な時期なのだと思う。

[dairy] よしなし

4:47
「公設派遣村:再始動…都、想定外の支援 市民団体が後押し」(毎日新聞)。本当に対処療法的。セーフティネットが機能し、なおかつ努力が報われる社会(全ての努力が報われるということではない)というのはないもんかね。

15:12
「自分はこうだったから」と他人の話に対してコメントするのは、共感という場合と単なる押し付けの場合と。

22:00
卒論にいそしむ4年生。まだまだまじめに教科書的に書く学生達に、「派遣の何がいけないのか?」「天下りがなくなると思うか?」「医療 機関は全ての患者を受け入れるって、できないことを書くな!」「受け売りじゃなく自分の頭で考えろ」と次々と突っ込んでいく指導教員。横で聞いていると興 味深いよ。